絢なすひとと
第二章/水無月に踏み出す


「伊達締めの力加減は、そう、生卵を扱うイメージかしら。
卵ってあんまり強く握ると潰れてしまうけど、しっかり指で包んでおかないと落っこちてしまうでしょう。
潰さないように、でも落とさないように。
帯もね、ぎゅうぎゅうに締めると苦しいけど、きちんと留めてあげないと着付けがずるずる崩れてしまうのね」

美幸(みゆき)先生の言葉に、はい、と頷きながら、難しさに手元も頭もこんがらがっている。

慣れです、とそんなわたしにおっとりと美幸先生が微笑む。

美幸先生こと井上美幸さんは、ほづみ屋が主催している着付け教室の講師の方だ。
品がありながら朗らかな人柄と着付けの腕や着物全般の豊富な知識に、生徒さんから絶大な人気がある。
十年、二十年と通っている生徒さんも多いという。

名の響きもぴったりくるので、誰もが下の名前で「美幸先生」と呼び習わしている。

株式会社ほづみ屋に入社して約ひと月、目下のわたしの主な仕事が美幸先生の着付け教室の助手だ。
それを務めながら、同時に美幸先生に着付けや着物のことを教わっている。

店員として入社したわけではないけれど、商っているモノについて無知というわけにもいかない。
毎日が学ぶことの連続だ。
< 26 / 71 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop