絢なすひとと
あ、社長おかえりなさい、という経理担当の事務員さんの声につられて、そちらに視線を向ける。
司さんが戻ったところだった。

着物姿なのは、今日の昼、問屋の方と商談を兼ねての会食だったからだろう。

「お茶お持ちしましょうか」

古参のその事務員さんは、秘書のような役目もこなしている。

いやいい、と司さんは言った。
「またすぐ新店の下見で出かけるから」

新店の下見…そうだ、わたしも行かないとな。
社員も交代で、新店舗を開店前に一度は見ておくように言われていた。
業務のうちなので、交通費は経費として精算するようにとも伝えられた。

森崎さん、という声にはじかれたように顔を上げる。
司さんと視線が合った。

「もう新店の下見には行った?」
何気ない口調だ。

「いえ、まだです」
慌ててかぶりを振る。

「じゃあついでだから、一緒に行こうか」

「え…っと、いいんですか」

周りのどうぞという雰囲気に、戸惑いながらも腰を上げた。
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