よあけまえのキミへ

 つかの間の沈黙を破るように、田中さんがふぅと大きく息をつく。
 そして眼前のお守りに手をのばすと、袋の口を拡げて中の文をするりと抜きだした。
 慣れた手つきだ。

「こいつを読む前にまず、昨夜中岡さんと会った時のことを詳しく話してくんねぇか?」

 あぐらをかいた膝の上に文を乗せ、ぱしんと掌でそれを押さえると、田中さんは鋭い視線をこちらへ向けた。

 私は、うなずいて静かに語り出す。


「――そしてこのお守りを受け取って、中岡さんを送り出しました」

 追われていた中岡さんをかくまってから別れるまでの流れや会話を、できるだけ細かく、あらいざらい吐き出した。
 話はここまでです、と小さく頭を下げて四人を見わたせば、皆一様に難しい顔をして黙り込んでいる。

「おめぇのおかげで助かったっつうわけだな。暗いのによく中岡さんだと気付いたぜ」

 田中さんはよくやったと頷きながら、かすかに口角を上げてこちらに笑みを向ける。

「それはもう、穴があくほどあの写真を見つめてますからね!」

「そもそも、なぜ天野が中岡さんたちのフォトグラフを持っていたんだ?」

 少し得意げに胸を張る私を横目に見ながら、陸奥さんが冷めた口調で問いを投げる。

「あー、言っちまうとまた呆れられそうだから伏せときたかったんだが、オレが川で落としたからだよ! んで、こいつがたまたま拾ってくれてよぉ」

「落とさないだろう普通……」

「ほら、そういう反応だよ! ため息ついたろ今!」

 陸奥さんがぼそりと囁いた一言が胸に突き刺さったらしく、田中さんはやっぱり言うんじゃなかったと苛立たしげに声を荒げた。

「まぁ、拾ってくれたのがこん子で良かったのう。ほとぐらふも無事田中くんのもとに戻って、めでたしめでたしじゃ」

「そうですよぉ。ふたりとも、ケンカはやめてくださいね。本題は今、中岡さんの話ですし……」

 なんだか今日は田中さんの機嫌があまり良くないようなので、助けを求めるように私は大橋さんのほうへと視線を向けた。
 鋭い目をいっそう細めて、真剣な表情で黙り込んでいた大橋さんは、場が静まったのを見計らってそっと口をひらく。

「なんとなく昨夜の出来事については掴めました。それで、聞きたいのは追っ手のことです。何人いたか、どのような格好だったか。何でもいいのでもう少し思い出せることはありませんか?」

「うーん、たしか人数は、三、四人だったと思います。暗くて姿まではよく見えませんでしたね……若い男の人たちだったことくらいしか、分からないです」

 昨夜の記憶をできるかぎりよみがえらせようと、頭をひねってはみるものの。
 いくら考えても思い出せるのは、真っ黒に塗りつぶされた人影や足音ばかりで、有力な手がかりは何一つ思い浮かばない。
 近くで見てはいないからなぁ……。

「三、四人の若い男か……天野からはこれ以上情報を引き出せそうにありませんし、中岡さんからの文を確認してみては?」

「そうしましょうか、田中くん」

 陸奥さんの提案をうけて、大橋さんは田中さんに文をひらくよう促した。

「おし、読むぜ……うん、たしかに中岡さんの字だなぁ」

 小さく折り畳まれていた半紙はガサガサと音を立てて田中さんの手のひらの上に広がっていく。
 思っていたよりも細かく、何やら書きつらねてあるみたいだ。
 田中さんの両隣から、大橋さんと坂本さんがそれをのぞきこむ。

 シンと、場が静まり返った。
 連なった文字を追って、三人の瞳がせわしなく上から下へと動いている。
 緊張感に満ちたその表情から、なにか重大で深刻なことが書かれているんだろうと、おぼろげながらも察する。

 ――この人たちの身に、一体何がおこっているんだろう……?


「……あいつらかよ、やっぱ」

「早いところ何か手を打たなければなりませんね」

 文を読み終わった田中さんと大橋さんが、互いに言葉を交わして頷き合う。

「あの、中岡さんは何と……? あいつらって、田中さんはもしかして誰が中岡さんを追いかけていたか知ってるんですか?」

 私の問いに、田中さんは大きくうなずいてみせる。

「おう、知ってる。ちょっといろいろあって揉めててな。こっちもそいつらを探してんだが……まぁ、こりゃあこっちの問題だ。おめぇを巻き込むつもりはねぇよ」

「そうですね。天野さん、何かとお世話になりました。落ち着き次第またお礼にうかがいますので、今日のところはこれでお帰り願えますか?」

 大橋さんが申し訳なさそうに微笑みながら、丁寧に一礼する。
 写真もお守りも渡し終えた今、私は単なるおじゃま虫みたいだ。

 なんだか張りつめた雰囲気になってきたし、部外者には聞かれたくない話もあるだろう。
 ここは言われた通り、さくっと退散したほうがいいのかも。

「それじゃ、私は帰りますね。よかったら皆さん、いつでもかぐら屋まで遊びにいらしてくださいっ」

 立ち上がってぺこりと、大きく体を折り曲げて礼をする。

「かぐら屋? いずみ屋じゃなかったのか……?」

 空になった湯飲みに急須を傾けながら、陸奥さんがかすかに眉を寄せる。

「わ、すみません! 言い忘れてました……! 今日からしばらくいずみ屋をしめるんですよ。明後日から本店のかぐら屋でお世話になる予定です」

「ほう、そりゃ残念じゃ。近々いずみ屋さんに寄ってみようと思うちょったんじゃが」

 そう言って額に手をあて、ふるふると顔を左右にふる坂本さんの隣で、田中さんは口をとがらせながらこちらに目を向けた。

「けどよ、かぐら屋っつったら貧乏人お断りの高級料亭だろ? オレらにゃ行けねぇよ」

「あ、中岡さんとおんなじこと言ってます。大丈夫ですよ、私はかぐら屋でもただの居候ですし……気軽に訪ねてきてください。お茶とお菓子くらいならいつでもお出ししますから」

「んで、その菓子が五両とかしたりすんだろ?」

「しませんよぉ。ですから、お客さんとしてじゃなくて、お友達として訪ねてきてくださいという意味で……!」

「ダチか、そっか。オレ、ダチとはまず同じ風呂につかりながら語り合う派なんだけどよ、いつ行く? 風呂」

「い、行きませんっ! 何言ってるんですか!」

 だんだんからかうような口調になってきている田中さんに向かって、あわてて言葉を返す。
 やだな、もう。顔が赤くなってるのが自分でも分かる。

「はいはい、田中くん。からかうのは、そのくらいにしておあげなさい。それでは天野さん、かぐら屋でまたお会いしましょう。かすみさんにも宜しくお伝えください」

 長引いていた別れぎわのやりとりをスッパリと断ち切ってコホンと咳ばらいをすると、大橋さんは笑顔で私の背を押しながら、部屋の外へと導いた。
 なんだか、優しそうでいて一番現実的でさっぱりとした人だなぁ。

「はいっ。坂本さんや陸奥さんも、お邪魔しました!」

 てきぱきと、箒でチリを掃きだすようにサッと廊下まで押し出された私は、部屋の中に向かってもう一度頭を下げ、そっと障子をしめた。
 ぽつんと冷えた廊下の真ん中に立ちつくして、私はふぅと大きく息をつく。


(中岡さん、無事にお守り渡せましたよ)

 気になることはたくさんあるけれど、何も知らない私が首をつっこんじゃいけないこともある。
 田中さんたちが問題を解決して、笑顔でかぐら屋に遊びにきてくれる日を待っていよう――。

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