よあけまえのキミへ

 そんなことを考えながら、ひやりとした階段にそっと足をのせたところで、背後から声がかかった。

「……途中まで送る」

 振り返ると、そこには陸奥さんが立っている。

「陸奥さん! いいんですか? みなさんのお話に加わらなくて」

「ああ、あとで坂本さんから詳しく聞くから構わない……おい、ちゃんと足元を見て気をつけて下りろ」

「あ、はい。ごめんなさい……」

 背後の陸奥さんを見上げながら階段をおりていた私は、注意をうけて視線を正面にうつす。
 階段をおりてすぐのところに、昨夜の少年が立っていた。

「お帰りですか? いずみ屋のおねえさん! 兄さんから昨夜のお菓子をいくつかもらって食べたけど、すごくおいしかったです! ぼく、甘いもの大好きで!」

「わ、本当ですか? そんなふうに言ってもらえると嬉しいなぁ」

「中でも大福が一番でした……! あんなにふんわりもっちり口の中でとけるものは、なかなか……」

「長くなりそうだな、その話。すまないが、また今度にしてもらえないか? これから送っていくところなんだ」

 なにやら突然熱く語りはじめた酢屋の息子さんの話をさえぎって、陸奥さんはポンとその子の肩に手をのせる。

「えー? 残念だなぁ。それじゃ、おねえさんまた遊びにきてくださいね!」

「はいっ! また今度、大福もって遊びにきます!」

 名残惜しそうに戸口までついてきてくれる少年をほほえましく思いながら、私は小さく手を振ってみせる。

 陸奥さんは、と視線を上げると、すでに戸を開けて外で待ってくれている。


(もうあんなところに……!)

 もたついて待たせてしまうのも悪いので、片足でぴょこぴょこと跳ねながら急いで履き物をはき、戸口を抜けて陸奥さんの隣に立つ。


「お待たせしました陸奥さん!」

「べつにそう慌てる必要もないんだが。転ぶから履き物は座って履け」

 あきれたように私を一瞥すると、店の中の少年へと声をかけ、陸奥さんはゆっくりと戸を閉める。
 そしてそのまま、すたすたと早足で歩き出した。

「あ、待ってください!」


 人通りの少ない川沿いの道を、のんびりと歩いていく。
 横並びになるのを避けるように陸奥さんが先を行くので、私はうしろからそっとその背中を追いかける。
 ぴたりと一列だ。なんとも声をかけにくい。

 おかげで会話はない。
 この様子だと、無言のまま目的地についてしまうなんてこともあり得る。
 ……なにか話をしたほうがいいかな?
 そういえば陸奥さんとは昨夜会ったばかりで、どんな人なのか何も知らない。

「あのう、陸奥さん」

「何だ?」

 陸奥さんは、立ち止まることも振り返ることもなく、返事をくれる。

「陸奥さんは、写真をとったことがありますか?」

 ついさっき、田中さんたちとも写真の話題で盛り上がっていたし、陸奥さんや坂本さんも少なからず関心は持っているはずだ。

「一応ある……」

「ほんとですか!? いいなぁ! どんな写真ですか!? 一人でとったんですか? それとも、誰かと一緒に?」

「一人だ」

 目を輝かせながら小走りで陸奥さんの隣まで移動し、あれこれ質問をぶつけると、面倒くさそうに気だるい返事が返ってくる。

 相手の反応がどうあれ、私の興奮はおさまらない。
 なにせ写真は今、私の中で一番の関心事なのだ。激アツなのだ。

「一人ですかぁ、いいですね! 絵でもそうですけど、一人だとゆとりある構図でどっしり仕上がるじゃないですか。そうだ! 写場にはたくさん小道具もありましたし、傘とか刀とか持っても絵になりますね! 陸奥さんの写真、どんなのかなぁ、見てみたいですっ!」

「……断る」

 この情熱を受け止めろとばかりに喋り続ける私を見て、面くらったような表情で陸奥さんが呟く。

「どうしてですか? もしかして陸奥さんも、田中さんみたいに写真にうつると別人のようになっちゃうとか……?」

「あまり人に見せびらかすようなものじゃないだろう、気に入ってもいないしな」

 ため息まじりに私の言葉をつっぱねる陸奥さんを見て、つられるようにこちらも肩をおとした。
 田中さんも陸奥さんも、あまり写真が好きじゃないんだな。

「でも、いいことですよ。写真をとっておくってことは。ずっと、紙の中にそのままの姿でその時の自分を残しておけるんですから。これって、本当にすごいことですよ!」

「……なんだ、急に。フォトグラフが偉大な発明なのは分かってる」

「今までは、絵しかありませんでしたから。いくらそっくりに描いても、“そっくりな絵”に過ぎなかったんです。写真は、その時その瞬間をそのまま切り取ったものでしょう? だから、本物なんです。何年経っても、本人がいなくなっても、紙の中で生きていられるんです!」

「それはまぁ、そうだな」

 陸奥さんは歩きながら、聞き流すようにさらりと返答する。

「生きてるうちに一枚は残しておきたいですよね! もうちょっと早く写真のこと知っていたら、父の姿も残しておけたんですけど……残念です」

「随分熱く語るんだな。そんなにフォトグラフが好きか」

 写真への思いを垂れ流し続ける私に陸奥さんが向ける視線は当初とはちがって、少しだけこちらの返答を期待するようなやわらかさが感じられる。
 なにか興味を引くようなことを言ったかな?

「好きというか、あこがれに近いです。もっとくわしく知りたいなぁって……まだ私は写真をとったことがないですし、まずはそこからだとは思うんですが」

「一枚でもそれなりの値がかかるからな。今後もっと普及していくだろうから、いずれとる機会もあるんじゃないか?」

「はいっ! 近いうちに必ずとりに行きますよ! 実はもう、かすみさんと一緒に行く約束もしてるんです」

「……そうか」

 早足で歩く陸奥さんの隣を小走りで移動しながら、自然に頬がゆるむ。
 最初にとる一枚は、家族とって決めてるんだ。
 かすみさんと……雨京さんにも声をかけてみようかな。
 大切な人と同じ場所に立つ貴重な時間を、ちゃんと残しておかなきゃ。

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