よあけまえのキミへ
「それより、今日は店じまい早いね。お客さん少なかった?」
もともと気まぐれに営業時間を早めたり遅めたりする自由な経営の店ではあるけれど、最近は日が暮れてからのお客さんも多かったはずだ。
「うん。なんだか今日はちょっと、ごたごたしちゃってね……」
ほわんと夢見ごこちだったかすみさんの表情が一瞬、くもる。
「どうしたの!?」
ゴタゴタと言えば、これまでにもいくつかあった。
お客さん同士の些細な言い合いがつかみ合いに発展したもの。
かすみさん目当ての酔ったお客さん達によるいさかい。
あとは、浪士さん達の口論が乱闘に発展したもの。最近はこれが多い。
「常連さんからね、うちの店にはもう来ないって言われちゃって」
「え……」
「最近客層が変わったって。それが居心地悪くて好きじゃないって。美湖ちゃん、どう思う?」
「それは、うん。京に住んでる人とは違う……浪士さんっていうの? 今は志士さんとか名乗ってるんだっけ。そういう人が増えたよね」
「うん、そう。確かに多いの、最近。お金がなくて困ってるようだから、私も何か力になりたいと思っているんだけど……」
「いつもツケで飲み食いして行くからね。長居する人も多いし、それを嫌がるお客さんがいるのも分かるよ……やっぱりほどほどに、お断りした方がいいのかもしれないね」
浪士。それも脱藩浪士というのは、いわばよそ者だ。
故郷を捨てて、藩の外に出てきた人たち。
ここ数年は町のあちこちでうろついている姿をよく目にするようになった。
京に住む人間の大半は、彼らを煙たがっている。
迷惑なよそ者と陰口を叩かれる彼らは、あてもなく貧しい生活を送っているようで、料理屋ではツケを要求することが多い。
宿もなく町のすみや橋の下でたむろし、中には道行く人から金品を強奪したり、女の人に乱暴する輩までいるらしい。
いつ自分に危害を加えられるか戦々恐々とする京の人々は、身を縮めるようにして日々を過ごしている。
あまりの実情に、そういった手合いを取り締まる組織まで出来た。
そんなごちゃごちゃとした最近のこの町は、どこかじめじめとして暗く、不安定な梅雨空のような雲行きだ。
「いい人もたくさんいるんだけどね。話してみたら分かるけど……」
「うん。私に釣りをすすめてくれたのも浪士のお兄さんだったしね!」
「ふふ、そうね」
いずみ屋に浪士がたむろしはじめた理由は恐らく、基本的にツケを断らないからだろう。
私から見ても、かすみさんの経営はものすごくユルい。
普通なら商売が成り立たなくなるほどにツケには寛容だし、どんな客でも拒まずに受け入れる。
けれど、そういった甘い対応の末に近辺に粗暴な輩が居座るようになっては迷惑千万だと、ご近所さんから幾度か苦情を受けたこともある。
むずかしい問題だ。
時には厄介ごとから一線引くために、人情を切り捨てる選択をした方がいい場合もあるのかもしれない。