よあけまえのキミへ
「いつまで寝てるん? 布団もしかんと……もう昼前やで!」
夢の中にどっぷりとつかっていた私の意識は、耳をつんざく怒鳴り声にびくりと体を浮かせながら覚醒した。
声の方に目をやると、いらだちをそのまま表情に出したおかみさんが、あきれ果てたようにすわった目でこちらを見ている。
寝ぼけまなこをこすりながらきょろきょろと周りを見渡すと、目の前にはかすかにあいた窓がある。
そこからちらりとのぞくいずみ屋の表戸が、変わりなく厳重に戸締まりされているのを見て少しほっとする。
足元を見ればふたつ、みっつと転がる金平糖……昨夜はあのまま倒れこむように眠ってしまったようだ。
「すみません、おかみさん! 寝坊してしまいました……!」
襟を正しながら取り落とした金平糖を拾い上げ、私はあわてて取りつくろうように笑顔をつくった。
「ゆうべ言うた通り、支度が済んだらすぐに出て行ってな。あとこれ、にぎり飯や。外で食べてや」
おかみさんは大きくため息をついて、おにぎりが入った包みを部屋の中央に置く。
「ありがとうございます。一晩泊めていただき、本当に助かりました」
まだほんのりとあたたかい包みを受け取って、大きく頭を下げる。
突然私を押し付けられて迷惑だっただろうに、こうして食事まで用意してくれるあさひ屋さんに心から感謝だ。
問題が解決して落ち着いたら、あらためてお礼をしに来なくちゃ。
「そんで、どないするのこれから……行くとこはあるんやろ?」
「はい、かすみさんが戻ってきたら一緒にかぐら屋を訪ねてみるつもりです」
「そう、かぐら屋さんが面倒見てくれはるなら安心やね。ほなうちは仕事に戻るわ……出ていく時は主人かうちに声かけてな」
「はいっ!」
私の返答を聞いて納得したように二、三度うなずくと、おかみさんは忙しそうに廊下へと出ていった。
(よし、出ていく支度をしよう)
自室から持ち出した小さいほうの風呂敷を広げて、そこにおかみさんからいただいたおにぎりの包みを入れる。
大きな風呂敷には着物や鏡や櫛といった生活に必要なものが入っており、こちらの小さい方には、筆や紙や父の遺した絵が数枚。
そしてもうひとつ、押し入れの奥から見つけた短刀が入っている。
厚手の紙で何重にも包んだあと、質のよさそうな布で大事にくるんであったものだ。
鞘にとても細かくきれいな細工がほどこされていて、見ているだけでも気持ちが引きしまる品だ。
珍しいものを手に入れたらなんでも自慢気に見せてくれた父だけれど、この刀は見覚えがない。
ごくたまに、お金ではなく品物で画料を受け取ることがあったみたいだから、たぶんこれはそうして絵と引きかえに手に入れたものだろう。
(お父さん、見守っててね……)
ぎゅっと短刀をにぎりしめ、小さく祈る。
そしてそれを元通り布でくるんで、絵を収納している箱の中へとしまう。
準備はできた。
これでいつでもかぐら屋へ行ける。
それから着がえをすませてかるく部屋の掃除をした私は、風呂敷ふたつを抱えて階下へと向かう。
「ご主人、おかみさん、お世話になりました……!」
店先に立つ二人に頭を下げて、お礼を言う。
「ほな美湖ちゃん、気ぃつけてな」
「うちらも向かいやからこれ以上何も起こらんように注意して見守っとくけど、いずみ屋さんも気つけてな」
おかみさんは昨夜の忠告の念を押すような口調で、こちらに言葉を投げかける。
「もちろんです。二度とご迷惑をおかけしないように、これからはもっと考えて動きます」
浪士に加担なんかは絶対にしていないけれど、こうしたいさかいに発展してしまったのは、付け入る隙を与えたこちら側にも少なからず原因があったと、今なら理解できる。
反省と謝罪を込めてふたたび深く頭を下げ、私はあさひ屋さんを出て行った。