よあけまえのキミへ
「こんばんはー」
会話が途切れひっそりとした店内に、ドンドンと戸をたたく音が響きわたる。
私とかすみさんは一瞬びくりと肩を震わせて、顔を見合わせた。
お客さんかな?
「はぁい、ただいま」
かすみさんは小走りで声の方へと駆け寄ると、ガタガタと戸を引いて笑顔を作る。
「店じまいの後にすまないな。これをさ、渡しておこうと思って」
戸口から顔を出した浪士らしき風体の男の人は、じゃらりと重みのある袋をかすみさんへと差し出した。
よくよく見れば、見覚えのある顔だ。
いつも二、三人で連れだって来店して、長々と居座りながらツケでたくさん飲み食いしてた人のはず。
「あ、これは……」
「ためてたお代、払いに来たよ。ちょっと収入があってさ。いやぁ、本当はまだまだ足りないんだけど今日のところはこんなもんで……」
「わ、ちゃんと払いに来てくれたんですね! ありがとうございますっ!!」
律儀にツケを払いに来るなんて珍しい。
私は少し感動して、戸口に立つ浪士さんのもとへ飛んで行った。
「おお、みこちゃん! 魚釣れたか? 前に俺、教えたろ?」
「今日はおしかったんですけどねぇ! 大物が釣れそうでした……結局逃げられちゃいましたけど」
「そうかぁ。まぁ、根気よくいけよ。あんまりぐいぐいやるなよ?」
「はいっ! 明日こそ釣ります! お兄さんもまたお店に来てください!」
「お待ちしてますね」
かすみさんがふわりと笑うと、浪士のお兄さんは照れたように頭をかいて、はにかんだ。
これは、ほの字というやつではないですかねお兄さん。
「ははは、いやぁ……本当、この店に救われてるよ。いつも俺たちみたいなのを受け入れてくれてありがとうな。また来るよ、かすみちゃん、みこちゃん!」
「はいっ!」
お兄さんは、にっと清々しく笑って手を振ると、そのまま足早に暗い路地へと消えて行った。
まるで何か一つやりとげたような、憑き物がおちたような。そんな様子だった。
その日暮らしで荒れた日々を送っているようで、やっぱり本人たちなりに考えるところはあるんだろうな。
どちらからともなく、かすみさんと顔を見合わせて笑い合う。
さっきまで私たちを悩ませていた問題は、どこかに吹き飛んでしまったようだ。
「もう少しだけ今のまま続けてみるね」と、かすみさんが小さく笑う。
受け取ったお代が手元で立てるその音を、今日ほど重く感じた事はない。