よあけまえのキミへ
いずみ屋の勝手口に面した小路に腰をおろし、私は表の通りをぼうっと見つめていた。
人通りが少なく、いつもの賑やかさが見られない。
昨日のことが影響してるのかな……。
時刻は昼すぎ。
店をあけていれば、お客さんが次々にはけて行って、かすみさんから「釣りに出かけてもいいよ」と声をかけられる頃。
「釣りかぁ……」
今はそんなことをしている場合じゃないけれど、なんだか無性にのどかだった日常が恋しくなってくる。
立ち上がって表の通りに出てみると、やさしく照りつける陽の光にいくらか気持ちが安らいだ。
――けれど、目にうつる景色に何か違和感がある。
いつもとどこか違う……
「あっ! 釣竿がない!」
普段は表戸付近に立てかけてある釣竿と桶が見当たらない。
昨日帰ってきてからどこに置いたんだっけ……?
できる限りくわしく、昨日の自分の行動を思い返してみる。
そうして少し考え込んだ末に、私は重大な事実に直面してしまうのだった。
(そもそも、釣竿を持って帰ってきてない!!)
そうだ、持ち帰った記憶がない。
おそらく酢屋さんに置きっぱなしだ。
陸奥さんを待たせたくない一心で、慌てて店を飛び出して来たのがいけなかった……!
「はぁ……」
どこまで自分はダメなんだろうと自然にため息がもれた。
ひやりとした小路へと戻り、勝手口を背にぺたりと足をつく。
釣竿を取りに行きたいけど、酢屋さんにはもう来るなって言われちゃったしな……。
浪士である彼らとこれ以上つながりを持つことは、難しいのかもしれない。
かすみさんは、浪士も悪人ばかりではないから自分の目で見極めるようにと言ってくれたけれど。
外で彼らと会っていることは、すぐさまご近所さんに広まって噂になってしまう。
相手がどんな人間であっても、浪士だというだけで距離をとる人々が、あまりにも多すぎる。
中には浪士をひいきにしてかくまったりするお店もあるそうだけど、このあたりでは見かけない。
――写真にうつる三人の顔が、ふと頭に浮かぶ。
彼らは、京に居場所はあるのかな。
坂本さんや陸奥さんのように、定宿を持っていればいいけど。
もしかしたら行く先々で冷たくあしらわれて、大変な思いをしているかもしれない。
そう考えると、ぎゅっと胸の奥が苦しくなる。
悪い人たちじゃないと、私は思っている。
ほんの少ししか話したことはないけれど。
それでも。
写真の中の三人に会えたことは、私にとって奇跡のように嬉しい出来事だったんだ――。
「はぁ……」
何度目かのため息。
――誰かに話を聞いてほしい。
一人ではあまりに不安が大きすぎる。
かすみさんはいつ帰ってくるんだろう。
うなだれて風呂敷ふたつを抱え込むようにしながらぎゅっと身をちぢめ、時間がすぎるのを待つ。
もう少し待てば、きっとかすみさんは帰ってくる――!
そう自分に言い聞かせてどれくらいの時が経っただろうか。
待ちくたびれて、空腹のあまりお腹がなさけない音をあげる。
(かすみさん、遅いなぁ……)
朝日屋さんからもらったおにぎりを頬張りながら空を見上げると、真っ昼間の澄んだ青さはもうなく、端からほんのりと朱に染まりつつあった。
「やっぱり、かすみちゃんは帰って来んねぇ」
「あんな浪士らとつるんでたからや……自業自得。このまま新選組に捕まっとってくれたらええのに」
「かぐら屋のお嬢は家で大人しゅう絵でも眺めとればええんよ、あないな世間知らずに商売なんぞできんのや」
表通りから顔をのぞかせて、見知った顔のご近所さんがひそひそと噂している。
その表情からにじみ出る、隠しきれない悪意。
ニタニタと人の不幸をあざわらいながら、なんと満足そうな顔をしているのだろう。
いずみ屋がやってきたことが、そこまで周囲を不快にさせていたのか――。
間違ったことはしていないと信じたいけれど、こうした騒ぎを起こしてしまった以上は、「やっぱりこうなったか」と陰口を叩かれても仕方がない。
黙っておにぎりをたいらげて、あびせられる言葉を聞き流していると。
ふいに陰口が止み、表の通りが小さくざわめき出した。