よあけまえのキミへ
「美湖ちゃん、こんなところにいた――今戻ったよ」
聞きなれた優しい声色が耳元まで届き、はっとして顔を上げると、すぐそばにかすみさんが立っていた。
「かすみさんっ……! おかえりなさい!! どうだった!? 何もされなかった!?」
すぐさまかすみさんの懐に飛びこみ、子供のようにしがみつく。
ぽろぽろと、こらえていた涙があふれ出て止まらない。
自分で思っていた以上に、気持ちがはりつめていたみたいだ。
「うん、ご近所さんからの訴えもあって少し話が長引いてね。なかなか帰してもらえなかったんだけど……」
「店を閉めてただちに新選組の管理下に置くっちゅうことで、一旦話がまとまった感じやな」
そう言葉をはさみながら、かすみさんのうしろから顔をのぞかせるのは、山崎さんだ。
「あ……山崎さんもご一緒でしたか」
「帰りは送る言うてたやろ。それに、釘も外さんといかんしな」
ごしごしと目をこすって涙をぬぐう私を見て、やっぱり子供だとでも言いたげに小さく笑みをもらした山崎さんは、脇に抱えていた木箱から工具を取り出して、器用に打ち付けた板を外していく。
「美湖ちゃん、ごめんね心配かけて。少しお店の中を整理して、暗くなる前にかぐら屋へ向かおうか」
「うん、わかった……お店の中、昨日のままで荒れてるもんね」
かすみさんの言葉に大きくうなずいてみせる。
せっかくだから盗品がまだ隠されていないか調べてみよう。
「開いたで」
ガタガタと音を立てながら木戸を引くと、かすかに埃が舞う見慣れた土間が目の前に現れた。
たった一日帰らなかっただけなのになぜだかとても懐かしく感じて、胸がいっぱいになる。
「ありがとうございます、山崎さん」
深々と頭を下げるかすみさんを見て、早々と戸の中へ駆け込んでいた私も、あわてて表へ出て頭を下げる。
「荷物多いんやったらいくつか運んどいたるわ、四条烏丸のかぐら屋やろ」
「そこまでしていただくわけには……今日はもう十分です。本当にありがとうございました」
「いや、かまへんよ。これから仕事であのへん通るからな……ほれ嬢ちゃん、その風呂敷も任しとき」
そんなとんでもない! と謙虚な姿勢で首をふるかすみさんのとなりで、私は素直に山崎さんへと風呂敷をたくした。
「それじゃ、お願いします!」
「美湖ちゃん!? そこまでしてもらっちゃ悪いでしょ……!」
あわてふためいた様子で私と山崎さんを交互に見るかすみさん。
そんな彼女を見た山崎さんは、問題ないといった様子で片手を上げ、こくこくとうなずいてみせた。
「それではこの子のぶんだけお願いします……残りは自分たちで運べると思いますので」
丁寧にお礼の言葉をのべるかすみさんに一瞥し、風呂敷を背負った山崎さんは思い出したように口をひらく。
「四半刻ほど経ったらまたうちのもんが巡回に来るはずやから、そん時までに支度終わらしとき。戸締まりして、かぐら屋まで送らせる手はずになっとる」
「分かりました、何から何まで本当にありがとうございます」
「ほなまたそのうちな。嬢ちゃん、あんま無茶せんようにな」
山崎さんはそう言ってポンと私の背を強めに叩いた。
「はいっ! いろいろとありがとうございました! 荷物よろしくお願いしますっ!」
かすみさんと一緒に手をふりながら、細い小路の奥へと消えていく山崎さんを見送る。
「さて美湖ちゃん、いそいで支度終わらせよっか」
ふうと一息ついて伸びをしたかすみさんは、ひやりとして薄暗い土間へと足を踏み入れた。
「うん! 昨日準備しておいたから、だいたいはできてるよね!」
かすみさんに続いて土間へと進み、そっと戸を閉める。
念のために内側から材木を立てかけて戸締まりをしておく。
「身の回りのものは準備できているんだけどね、お店の中をちょっと整理したいのよ……これからしばらくここには入るなと言われてるから」
「そっか、だったら私は何を手伝えばいい?」
「お店のほうへ行って飾ってある絵を回収しておこうと思うの。美湖ちゃんも手伝って。暗いから灯りを用意しなきゃね」
「分かった! 準備するね」