よあけまえのキミへ

 私は三人とともにいずみ屋までの道を引き返しながら、これまでのことを語った。

 いずみ屋が浪士のツケに甘く、いつの間にかたまり場になっていたこと。
 三人の浪士に目をつけられて今回の騒動が起こったこと。
 新選組からも監視されていること……。

 そこまで黙って話を聞いていた三人は、険しい表情でそれぞれ顔を見あわせた。

「今、いずみ屋に立てこもっている浪士はどんな奴らだ? 名は分かるか?」

 まず、中岡さんが神妙な顔つきでこちらに問いを投げかける。

「気性が荒そうな水瀬という人と、一見親切な深門さんという人で……」

「水瀬に深門ぉ!? おい! そりゃあ確かかよ!?」

 田中さんが血相を変えて、私の肩をつかんで揺さぶった。

「確かです、名前を呼び合っているのを聞きました」

 そう言ってうなずいてみせると、三人は息をのんで何とも言えない緊迫した表情のまま立ち止まった。

「あの、どうかしましたか?」

 おそるおそる尋ねながら、急がなければと気持ちがはやり、進行方向に幾度か目線を流す。

「――水瀬と深門は、私達が先日から探していた相手です」

 ぽつりと、重く苦々しい声色で大橋さんがつぶやいた。

「えっ!? それって……」

「あの夜、俺を追っていたのも水瀬達だ」

 困惑する私に向けて中岡さんがいい放った言葉は、稲妻のような衝撃を私の脳天に落とした。

「そんな……どういうことですか!? 彼らと中岡さん達はどんな関係なんですか!?」

 頭の中がますます混乱して、もう何がなんだか分からない。
 まさかいずみ屋の騒動と中岡さんたちが抱えている問題がつながっていたなんて――。

「あいつらは元はオレらの仲間だったんだが、数日前に突然裏切って出て行きやがったんだよ」

「その際、金品を盗んで持ち去りました」

 田中さんと大橋さんが、鋭く冷たく相手への憤りをにじませながら言葉をつなぐ。

「……心当たりあります。お金とか刀とか、いくつかはいずみ屋に隠してあったみたいで」

「どんな刀だったかわかるか!?」

 田中さんが、急かすように声を荒げながら私に詰め寄った。

「えっと確か一昨日のことです……水瀬が突然立派な刀を腰に差して来店したんですよ。それが上品に塗られた朱鞘の長刀で、何か鞘に龍みたいな模様が入っていたような……」

 分不相応なその姿には違和感しかなく、よく覚えている。
 ほとんど使った形跡のない、新品同様のぴかぴかの刀だった。

「間違いねぇ、そいつぁオレの刀だッッ!!」

 田中さんはギリリと歯噛みし青筋を立てて怒鳴り散らすと、物凄い速さで暗い小路を駆け出した。

「急ごうぜ! あいつら取っつかまえてブッ殺してやらねぇと気が済まねぇ!!」

 猛獣のように両の目を血走らせて、髪の毛が逆立つほどの殺気を振りまきながら、田中さんは前へ前へと進んでいく。

「ずいぶんと大切にしていたものですから、気持ちは分かりますが……」

 やれやれといった様子でため息をつきながらも、大橋さんの瞳も冷たく殺気立っている。


「できれば新選組が駆けつける前に、俺たちの手でやつらを捕まえたい。天野、協力してもらえるか?」

 思わぬ展開に足がすくんでいる私の両肩をがっしりとつかんで、中岡さんが真剣なまなざしをこちらに向けた。

「新選組に見つかるのはよくないですか……?」

「よくないですねぇ、あまり仲がよろしくないもので」

 肩をすくめて首を左右にふりながら、大橋さんは長々と息をつく。

 ……この人たちは、一体何者なんだろう?
 町で悪さをして人を困らせるような人たちには到底見えないだけに、何か取り締まりの対象になる点があるのかと疑問が浮かぶ。

 ただ新選組は、相手が他藩出身の浪士というだけで疑ってかかることも多いそうだから、そういう意味で衝突を避けたいだけかもしれない。

 ……詳しいことはよく分からないけれど、今は深く考えている時間はない。


「中岡さんたちに協力します! 私も、水瀬たちが捕まるまで安心できませんから!!」

 中岡さんの目をまっすぐ見上げて、意思を固める。

 この人たちも同じ相手に裏切られ、苦しめられて来たんだ。
 力を貸さない理由はない。一緒に問題を解決しよう――!


「ありがとう。こちらもいずみ屋を守るため、出来る限り力を貸す」

 中岡さんは力強い眼差しをこちらへ向け、誓うようにトンと掌でその胸を叩いてみせた。

「そうと決まれば、急ぎましょう。田中くんがしびれをきらしてこちらに突進してきています」

 真面目な話の途中、大橋さんがおかしなことを言い出したと顔を上げて目の前の路地を見渡せば、すぐそばに田中さんの姿があった。


「おっせぇよ! オラ天野、乗れ! ろくに歩けもしねぇんだろ? 圧倒的肉体派のオレ様が運んでやっからよ」

 そう言って膝を折りこちらに背を向け、万全のおんぶ体勢の田中さんを見て、一瞬ためらう。

「田中くんはあなた一人くらいなら、おぶったまま走れますよ」

「馬か何かだと思って、遠慮なく乗るといい」

 大橋さんと中岡さんのお墨付きをもらって、おずおずと田中さんの背に体を預ける。
 その瞬間、まるで宙に浮くようにふわりと私の体は持ち上げられた。

 いくら背が低いとはいえそれなりに重たいはずなのに、田中さんは涼しい顔で軽々と私を運ぶ。
 そして、道の両脇に据えてある樽や桶をひょいひょいとかわしながら、韋駄天のように猛進して行く。


「しっかりつかまっとけよ! 首んとこに手ぇまわせ」

 おんぶなんて幼い時分以来だ。
 どきどきしながら背中にしがみついている私のほうをちらりと振り向いて、田中さんが声をかけてくれる。

「はいっ」

 おそるおそる首を包みこむように両手をそえると、隣を走っていた中岡さんがぶほっと顔をそむけながら噴き出すのが見えた。

「わざとやってんのかコラァ! 絞まっちゃってんじゃねーか!! 腕を前にまわせっつうこったよ!!」

「あ、はい! ごめんなさいっ……!」

 緊張のあまり自分でもわけのわからないことをしてしまったと、反省。
 田中さんの首にゆるく巻きつけるように腕を回す。

「重いですよね、すみません」

「軽ぃよ」

 なんてことはないと言うようにフンと笑ってみせると、田中さんはまた少し速度を上げて入りくんだ路地を矢のように抜けていく。



 私が全力で走ってきた時間の半分もかかっていないんじゃないかという恐るべき脚力で、あっという間にいずみ屋付近の通りまでたどり着くことができた。

「ん……? あれは……」

 そうつぶやいて中岡さんが立ち止まると、田中さん大橋さんも足を止めた。
 そして見上げた空の異様さに、私達は言葉を失う。

 いずみ屋の方角――北西の空が、橙から朱に染まり、もうもうと立ち上る煙のようなものでその周辺はひどく淀んでいた。

 火事だ。
 燃えているのは、恐らく――……


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