よあけまえのキミへ

「天野さん、二人が戻って来ましたよ」

 大橋さんに声をかけられてハッと顔を上げると、勝手口に面した小路から中岡さんと田中さんが出てくるところだった。

「ゲホ、ゲホッ……くっそぉ、煙吸い込みすぎて気分悪ぃぜ」

「天野、ざっと確認することしかできなかったが、一階にも二階にも人の気配はなかった」

 大きく息を吸い込んでむせるように咳をする田中さんの隣で、中岡さんが左手を押さえながらこちらに顔を向けた。
 よく見ると腕の一部が赤く焼けたようにただれている。

「どうしたんですか、これ!? 大丈夫ですか!?」

 あわてて駆け寄る私に、中岡さんは心配ないといったふうにこくりと頷くと、近くに置いてあった水桶に腕を浸す。

「途中、柱が倒れこんで来てな。避けたんだが一部がかすってしまった。なに、大したことはない」

「ごめんなさい、こんなことに巻き込んでしまって……」

 中岡さんのかたわらに座りこみ、涙をこらえながら頭を下げる。

「今回の件はこちらの問題でもあるんだ、気にしないでくれ。それよりあとは消火だな」

「そうっすねぇ、幸い風は強くねぇし広く延焼するこたぁねぇと思いますけど……」

 中岡さんが腕を浸している桶の前にどかりと腰を下ろし、田中さんは水を汲み上げて煤で黒くなった顔を洗う。


「あの、中を調べてくださってありがとうございました。かすみさんも水瀬たちもすでに脱出したんでしょうか?」

「恐らくな、その後の行方は分からないが……」

「こんな時に頼る場所はかぐら屋しかないですから、水瀬たちから逃げ切れたとしたらきっと、かすみさんはかぐら屋を目指しているはずです」

 そうであってほしい。
 別れ際のかすみさんの顔が脳裏をよぎっては、ぎゅっと胸がしめつけられる。

「あとでかぐら屋へ行ってみよう、俺たちも付き添う。それより新選組が来る気配がないのが気になるな……」

「あ、そういえば。見回りに来ると言ってた時間は過ぎてるはずなんですが」

 なにかあったのだろうか。
 どちらにせよ、いずみ屋が火事に遭っているという話はすぐに向こうにも伝わるはずだ。

「こねぇでくれた方がいいぜ、多分ここに来るまでの間に何かあったんだろ。浪士と見りゃ片っ端から因縁つけてくる奴らだからなァ、またどっかで追いかけっこでもしてんじゃねぇの?」

 田中さんは舌打ちして不快そうな表情でそうつぶやくと、そっぽを向いて地面に唾を吐き捨てた。
 ゴホゴホと咳をしながら調子が悪そうに喉を押さえている。

 中岡さんも田中さんも、具合が悪そうだ。
 無理をして店内を探索してくれたんだろう。


「お二人はこのまま休んでいてください……私は消火を手伝ってきますね」

 二人の前に新しく水を張った桶と、懐から取り出した手拭いを置いて小さく頭を下げる。
 そのまま立ち上がった私は、駆け足で火消しの列へと加わった。

 私や中岡さんたちを遠くから睨み、ぼそぼそと陰口をたたく人は大勢いるけれど、今は構っていられない。
 大橋さんのほうを見ると、私なんかよりももっと他人事のように事態を割りきっているようで、どんな心ない言葉を耳にしようが気にもとめず、せっせと水桶を運んで消火にあたっていた。


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