よあけまえのキミへ

「あ、そうだ!」

「びっくりした……何ですか?」

 もしかしてまだ何か預かりものでもあるのだろうかと、首をかしげる。
 すると彼は、ちらりと障子の向こうへ視線を向けて、こう切り出した。

「この診療所を営む兄妹が君を知っているらしいんだけど、覚えているかな? 山村霧太郎(やまむらむたろう)さんと雪子(せつこ)さん」

「えっ!? ゆきちゃんとむた兄……! 知ってます、よく覚えてますっ!!」

 ゆきちゃんは、幼いころによく一緒に遊んだ私の一番の友達だ。

 二人の名を聞いて驚きのあまり、私は大きく布団から身を乗り出す。
 そして脇腹に走る痛みに悲鳴を上げ、涙目になってお腹を抱えた。

 長岡さんはそんな私を見て苦笑すると、「しばらく横になったら?」と優しく声をかけて布団に寝かしつけてくれる。

 ――そうして、納得した様子で二度、三度とうなずきながら口をひらいた。

「やっぱり雪子ちゃんとは深い付き合いだったんだね。君の手当てをしながら彼女、ずっと泣いてたんだよ」

「そうなんですか……? ゆきちゃん……」

 ゆきちゃんこと山村雪子ちゃんは、以前私が父と暮らしていた長屋のすぐ近くに診療所を構える医者の娘さんだった。
 父同士の仲もよく、物心つく前から互いの家を行ったり来たりしながら毎日一緒に遊んだものだ。

 けれど、ゆきちゃんが八つになった頃にお父さんを亡くして――それからすぐにむた兄が大坂に遊学することが決まり、幼いゆきちゃんも一緒について行ったはずだ。

「大坂から戻ってきてたんだ……」

 知らなかった。
 もう二度と会えないものだと思っていたから。

「霧太さんがここで診療所を開いたのは、ほんの一月ほど前だよ。自分も以前大坂で医術を学んでいたことがあって、その頃山村兄妹と知り合ってね。けっこう長い付き合いになるかな」

「そうだったんですか。というと、長岡さんは大坂の方ですか?」

「いや、違う。土佐の出だよ。大坂は医術を学ぶにはいい場所で、地方から遊学に出てくる医者が多いんだ。霧太さんとは同じ塾で学んでいた仲間さ」

「へぇ……」

 そういえば、むた兄は昔から立派な医者になるとコツコツ勉学に励んでいたっけ。
 大坂へ行く前には京でも有名な塾に通っていたはずだ。


「それじゃ、雪子ちゃんたちを呼んでこようかな。自分は今日のところはこれで失礼させてもらうけど、また様子を見にくるからね」

 優しく笑って私の額をツンと指でつつくと、長岡さんは立ち上がって廊下へと続く障子に手をかけた。

「はいっ! いろいろとありがとうございました、坂本さんや陸奥さんにもよろしくお伝えくださいっ」

「うん――ああ、そういえば、まだ名前を聞いてなかったね。教えてくれるかな?」

「あ、はい……! すみません! 天野美湖ですっ!」

「そっか、美湖ちゃん。お大事にね。また会おう」

 布団に横になったまま大きく頭を下げる私を見て、あまり無理な動きをするなとでも言うように片手を小さくあげて苦笑しながら、長岡さんはゆっくりと部屋をあとにした。


「ふぅ……」

 長岡さん、すごく話しやすくて親切な人だったな……。
 坂本さんたちのお仲間か。
 またいつか、坂本さんや陸奥さんにも会いたいなぁ。

 今回の騒動で、いろんな人に心配と迷惑をかけてしまった。
 謝りたいし、お礼を言いたい。

 この怪我が治ったら、必ずまた彼らに会いにいこう――。


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