よあけまえのキミへ
天井を見つめながらぼんやりとそんなことを考えていると、障子の向こうから何やらドタバタと騒がしい足音が聞こえて来た。
大きな床鳴りとともに、襖や箪笥が小刻みに振動する。
誰かが全力疾走でこちらへ向かっているようだ。
「みこちん! みこちーーーん!!」
壊れるんじゃないかという勢いで障子が開き、姿を見せたのは目に大粒の涙を浮かべながらこちらを見つめる一人の女の子。
「ゆきちゃん!? ゆきちゃんだよね! うわぁっ、久しぶりっ!!」
怪我のことなどすっかり忘れて、私は布団をはねのけながら体をおこし、ゆきちゃんのほうへと手をのばす。
間違いない。昔の面影の残る、懐かしい顔だ。
「みこちん、まだ起きたらあかんよ……!」
「うん、うん。でも本当に久しぶりだから嬉しくて! また会えるなんて思ってなかった!」
「うちは会いに行く気まんまんやったんよ? けど、前住んどった長屋を訪ねたらみこちんおらんくてなぁ……」
ゆきちゃんは私の体をぎゅっと抱きしめて優しく背中をさすってくれる。
「そっか、ごめん……! あれからしばらくして転居したの。でもまた会えたね、こんな形でなんてちょっと笑えないけど……」
「うちは嬉しいよ! ずっとみこちんに会いたかったんや。怪我、しっかり治したるからな! うちと兄ちゃんにまかしとき!!」
こぼれる涙を袖でぬぐい、照れたように強気の笑みを見せながら、ゆきちゃんはトンと拳で胸を叩く。
「うん、ありがとうゆきちゃん……」
変わってないな。
笑い方も、みこちんって呼び方も。
ひとつ年上のゆきちゃんは、元気で強くて、頼りになるしっかり者だった。
別れてからもう十年――。
ゆきちゃんも、十八歳か。
中身はそのままだけど、見た目は凜として愛嬌のある綺麗なお姉さんといった感じに成長している。
三つ編みにした長い髪を上でくるりとまとめ、残りをしっぽのようにうしろに垂らす結い方は昔から変わらない。
「みこちん、傷痛むやろ? 体横にしよか?」
ゆきちゃんはいくらか落ち着いた様子でそう声をかけると、傷口を上にして私が寝返りをうつのを手伝ってくれた。
「ありがとうゆきちゃん……そうだ、むた兄は?」
「兄ちゃんは、謙吉さんと少し話してから来るいうてたけど……あ、今こっち向かってるな」
廊下を歩くかすかな足音に耳をかたむけながら、ゆきちゃんは立ち上がって障子を開く。
「兄ちゃん、遅いで! 早う入って! みこちん目ぇ覚ましたんや!」
「知っとるよそりゃ……こらこら、押すんやない」
ゆきちゃんから背中をぐいぐいと押されて布団の前まで連れてこられると、むた兄は私を見てにっこりと笑った。
「美湖ちゃん、久しぶりやなぁ。気分はどうや? 傷は痛むか?」
細身で猫背、人なつっこく優しい顔立ち。
動きも喋りもゆっくりとして、亀のようだと昔からゆきちゃんにからかわれていたっけ。
ゆきちゃんの七つ上だったはずだから、むた兄は今二十五歳だ。
全体的に大人びてはいるものの、あの頃のままの雰囲気だ。
「むた兄、久しぶり……動くとまだ少し痛いけど、大丈夫だよ。すぐ治るよね?」
「すぐとは言えんけど、もう数日このまま安静にしとったら次第にようなってくはずや。田中さんの話やと、住まいも焼けてしもうたんやてなぁ……しばらくはここにおってくれてええからな」
「せやで、みこちん! ここにおり! もううちの子になったらええよ! な!」
むた兄の言葉に大きくあいづちをうちながら、ゆきちゃんは私の手を握ってぶんぶんと振りまわす。
「ありがと……でも、一旦かぐら屋に帰りたいな」
雨京さんの元には山崎さんが運んでくれた私の荷物が届いているはずだし、もしかしたらかすみさんもうまく逃げ出してかぐら屋に駆け込んでいるかもしれない。
「怪我がなかったら、あの日からかぐら屋さんに世話になる予定やったんやろ? その話も田中さんらから聞いとるよ。で、昨日かぐら屋のご主人とも話してきたんやけど……」
「え!? 本当に!? むた兄、雨京さんと会ったの!?」
「会うてきたで~、かぐら屋恐ろしなぁ。貧乏人や思われたんか知らんけど、六度も追い返されてな、いずみ屋と美湖ちゃんの名を出してようやくご主人が会ってくれはったわ」
「……大変だったよね、ごめんなさい。それで、雨京さんは何て?」
「会いに来てくれるそうや、今夜」
「今夜!?」
信じられない。
あの雨京さんがわざわざ出向いてくれるなんて。
いつもすごく忙しそうにしていて、あいている時間なんてほとんどないと聞いていたのに。
「せやで。いや、ホンマに美湖ちゃんが目ぇ覚ましてくれてよかったわ。いろいろ話したいことあるやろ、ご主人は店が落ち着いてから四ツ半以降に来るそうや」
「四ツ半……ずいぶん遅くなるね、夜道大丈夫かな?」
「ああいうお人は一人歩きなんかせんやろ。心配やったら、僕が迎えに行ってこよか?」
「兄ちゃんはヒョロガリ貧弱やからかえっておらん方がええやろ、金持ちさんにはたぶんちゃんとした付き人がおるよ。ダイジョブや、みこちん!」
「う、うん……」
元気づけるようにひときわ明るくこちらに笑みを向けるゆきちゃんの隣で、貧弱と呼ばれたむた兄ががっくりと肩を落としてため息をついた。
変わらない二人を見て自然と笑みがこぼれる。
思わぬ騒動の連続ですっかり気持ちが弱りきっていたけれど、こうしてゆきちゃんやむた兄と再会できたことは、何か特別な巡り合わせだと感じる。
長岡さんがここに連れてきてくれたことに感謝しなくちゃ。