流れのままに恋したい ~ 過去に傷ついたふたりの恋物語 ~
ひとつ前の恋は、いま思い出しても息苦しくなるほど、私の心を掻き乱した。

あの恋を『愛』と呼ぶのなら、
私は彼を深く愛したし、その分、深く傷付いた。


私が愛した彼には、結婚を約束した人がいて。
私はそれを知らなかった。

7歳ほど歳上の彼の、甘い愛の言葉に心を溶かされ、私に触れる唇と指先に夢中になった。


そう、夢中だったのだ。


その彼は私の上司で。
あろうことか、課の全体ミーティングで彼の結婚を知った。

でも、その事実を知るのが会社ではなく。
彼に直接告げられたとしたなら。

私は、その場で気を失ったかもしれない。
いや、半狂乱にでもなっただろうか。


あまりに衝撃で。
けれど、私は、外に出すより内に入り込む性格だったこともあり。

その後、彼に会うことも、言葉を交わすことも無かった。

いっそ、当たり散らすくらいすれば良かったのかもしれないけれど、自分が壊れてしまいそうで、それもできなかった。


内にくすぶったエネルギーをどうにか転職活動に向け、今の会社の内定をもらった後は、緊張の糸が切れてしまい1週間寝込んだ。

苦しかった。
ずっと頭痛が絶えないくらい、泣き明かした。


転職して、少し慣れた頃にはもう秘書室への異動が決まっていて、秘書業務を覚えるので必死だった時間が、私を癒してくれた。

副社長に面と向かって伝えたことは無いけれど、本当に感謝しかない。


だから・・・。


だから、部長を好きだと認めてしまったら、また同じことを繰り返してしまいそうで、自分の気持ちに気付いてはいるものの、踏み出すことができずにいた。


ただ流れに身を任せるような、自然な恋ができたら良かった。



「澤田さん」

「はい。おはようございます、部長」


朝から、どうしたんだろう。


「こないだの面談の件、経過が聞きたいから来週また時間取って」

「はい」

「俺のスケジュール見て、ミーティングルームも抑えといてくれると助かる」

「・・・承知しました」

「じゃ、よろしく」


そう言い残し、部長はお昼まで席に戻ってくることはなかった。


「最近、上野部長ほとんど席にいないんですよね〜。承認が進まなくて、ちょっと困ってるんです」


早川さんがため息をつく。


「早川さん、滞ってるなら夕方私から頼んでみましょうか?」


庶務さんは基本的に残業無しなので、遅い時間に事務作業をすることができないのだ。


「えー、お願いしちゃっていいですか? 捺印、結構溜まってるんです」

「部長にお渡しして、終わったものを部のキャビネにしまっておけばいいですか?」

「あの・・・もしできれば、経営企画部のポストに投函までしてもらえると、明日の朝イチで処理してもらえるので、とっても助かるんですけど」

「そうか、そうでしたね。もちろん、いいですよ」

「わぁ、助かります!」


可愛らしい笑顔を向けられると、業務上必要なこととはいえ、なんだかうしろめたい気持ちになった。
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