流れのままに恋したい ~ 過去に傷ついたふたりの恋物語 ~
定時を過ぎ、明らかに疲れの見える表情をした部長が戻ってきた。

頼まれた書類を手に、一旦椅子から腰を上げたものの、書類はデスクのキャビネにしまい、私はバッグからお財布を取り出した。


カフェに向かい、アメリカンのブラックをふたつと、メープルのスコーンをひとつ買い足す。

帰られてはマズイと思い、急いでオフィスに戻ると、ちょうど副社長が部長の席から離れたところだった。

良かった・・・間に合って。


「これ、良かったらどうぞ」


コトン、と部長のデスクにコーヒーを置いた。


「いないから、もう帰ったのかと思ったよ」


疲れた表情のまま、部長が無理やり笑顔を作る。


「少し、休憩しませんか? これ、ほんのり甘くて美味しいので、食べてください」


私は、メープルのスコーンが入った紙袋を渡す。


「ありがとう。ところで、俺に何か用があって残ってた?」

「あ、はい・・・早川さんが、承認の捺印が溜まってるので、処理していただきたいと」

「あー、そうか。ここ何日か、まったくできてなくて。預かった?」

「はい」

「今やるから、持ってきてくれる?」


なんだか申し訳ない。
あんなに疲れた表情は、滅多に見せないはずだから。

頼まれて預かったものの、明日じゃダメなのかと思ってしまった。


「あの・・・やっぱり明日にしましょうか?」

「え?」

「すごく疲れてそうだから・・・」


素直に口にしてしまい、思わず目を伏せた。
余計なお世話・・・だったよね。


スッ、と部長の右手が私の左手をつかんだ。


え・・・?


突然のことに、一気に顔が熱くなる。


「ここに座って」


部長のデスクのサイドテーブルに引っ張られる。


「申請書は俺が見るから、捺印は澤田さんが手伝ってくれる?」

「・・・はい」


部長は手を離し、キャビネから印鑑を出す。


「澤田さん・・・顔、赤いよ」


ふいに指摘されて、余計に顔が熱くなる。


「部長が急に手をつかむから、びっくりして」

「あ、そうか、ごめん」

「いえ・・・」

「澤田さんもコーヒーあるんだよね?」

「はい」

「冷めちゃうから持ってきて。飲みながらやろう」


自分の席に置いたカップを持って、部長のサイドテーブルに戻る。


「澤田さんも、半分食べて」


さっき渡したスコーンを、半分に割って私に差し出す。


「半分なら、いいよね?」

「ふふっ・・・はい、いただきます」


思わず微笑む。


「やっと笑った」

「はい?」

「多分、俺の前で初めてちゃんと笑った」

「そんなこと・・・無いと思いますけど・・・」

「・・・ヤバイな」

「何が・・・ですか?」

「知りたい?」

「・・・知りたくないです」


部長との間に流れる微妙な空気感に、耐えられなくなって目をそらした。
< 11 / 54 >

この作品をシェア

pagetop