流れのままに恋したい ~ 過去に傷ついたふたりの恋物語 ~
第3章 彼の物語
彼女は初出社の日、俺に『初めまして』と挨拶した。

それが意図的ではないことは、彼女の表情を見て分かった。


でも、俺はすぐに気付いた。
あの時の女性だと。


あの時はキャップを目深にかぶっていたし、たいして言葉も交わさなかったけれど。

彼女を助けようと目一杯の力で抱き抱えた時の感覚が、間違いないと訴えていた。

こんなドラマみたいなこと、本当にあるのかよ・・・と、心の中で苦笑いした。


彼女は俺の部下として配属されたものの、ちょうど常務がアシスタントを探していたこともあり、その業務をしていることが多かった。

正直、助かったと思った。
どう接したらいいか、戸惑っていたから。

時折、言葉を交わすくらいで充分だった。


「部長、常務からこの部分の金額提示を求められたのですけど・・・どういったものか教えていただけますか?」


困り顔で、彼女が相談にくる。


「それは、元の数字を俺が持ってるから、少し待てる? すぐ出すから」

「良かった。ホッとしました」


ニッコリ微笑む顔をみるだけで、穏やかな気持ちになる。

でも不思議なもので、当然のように、もっと知りたいという気持ちが膨れ上がっていく。

それに気付いた時、その欲を、胸の奥の苦しさが上回っていることにも気付く。


まだあのことを引きずっている。
あとどのくらい、時間が必要なのだろう。


「部長、顔色があまり良くないですよ」

「え? あ、うん、大丈夫」

「いつもスケジュール詰め過ぎです。お昼ちゃんと食べてください。声を掛けてくだされば、いつでも調達してきますから」

「そう・・・だね。ありがとう」


席に戻る彼女の後ろ姿を見つめながら考えた。

もしかして、彼女が俺を好きになってくれるようなことがあれば、あの過去を乗り越えることができるだろうか・・・。


勝手だな。
何を考えているんだ。
自分でどうにかしないと。


ふうっ、と大きくため息をつくと、俺の席の前を通りかかった常務にたしなめられる。


「おい、そんな大きなため息ついてたら、俺の幸せまで逃げるぞ」

「常務は・・・幸せなんですか?」


思わず尋ねる。


「まあ、それなりに。幸せは自分で作るものだからな」

「自分で・・・作る?」

「誰かに幸せにしてもらおうとか思うなよ、上野」


ハッとした。

ほんの少し前に、彼女が俺を好きになってくれるようなことがあれば・・・と考えたばかりだ。

それじゃ、ダメなんだな。

とはいえ、どうやったら作れる?
作り方を忘れたのか、そもそも知らないのか。


30も半ばを過ぎたというのに、すっかり恋愛に臆病になってしまった自分がいた。
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