流れのままに恋したい ~ 過去に傷ついたふたりの恋物語 ~
副社長と彼女が、役員フロアに移ってしばらく経った頃、俺は会社の方針で1年ほどベトナムに行くことになった。

低コストでシステム開発が可能になるよう、現地法人と合弁会社を立ち上げるのだ。

海外営業部の何人かと、現地に詰めることになる。
当分の間、日本には帰ってこれないだろう。


ふと、デスクの電話が鳴った。


「上野です」

「副社長秘書の澤田です」


彼女の声に、耳がくすぐられるような感覚になった。


「お疲れさま。副社長からの呼び出し?」

「はい・・・13時に副社長室にいらしてください」


返事をして電話を切ろうとすると、彼女がそれを引き止めた。


「あの!」

「ん?」

「長期でベトナムに行くと伺いました」

「そう・・・来月の始めにね」

「部長にお会いできなくなるの、寂しいです」

「え?」


聞き間違いか? 寂しい?


「社交辞令でも嬉しいよ。じゃ、後ほど」


気持ちがざわついて、慌てて電話を切った。


俺自身は、彼女と会えなくなることを寂しいとは考えていなかった。
この期間で、もう一度過去と向き合おうとしていたから。

それでも、彼女に寂しいなんて言われたら、嬉しくないわけがなかった。


13時より少し前に、階上のフロアに向かう。
ドアをノックすると、彼女が出迎えてくれた。


「もうすぐお戻りになりますので、お待ちくださいね」


立ち上がって、秘書スマイルを俺に向ける。

当分、お別れか・・・。


「あの、部長」

「何?」

「もし良かったら、これをベトナム行きのお供に加えてください」


彼女は、小さな小袋を差し出した。

何だろうと袋を開けてみると、そこには『旅守』と書かれた御守りが入っていた。


「これ、どうしたの?」

「先週、ベトナムの件を副社長に伺いました。長期になると聞いたので、何かできることはないかなと」

「え? 買いに行ってくれた?」

「はい、週末に」


わざわざ、買いに行ってくれたのか。


「無事に帰ってきていただきたいので」

「ありがとう。もちろん持って行くよ」


その時、ガチャッとドアが開いて副社長が戻ってきた。


「上野、待たせて悪かったな。ん? もしかして、もっと遅かった方が良かったか?」


本当だよ。
もう少し、彼女と話していたかったのに。


「いえ、お待ちしてました」


心の中とは真逆の答えをした。


「お茶、お持ちしますね」


そう言って、彼女は給湯室に向かった。

俺の手元を見て、常務がニヤリと笑う。


「お、上野、進展ありか?」

「無いですよ。旅守をもらったんです」

「ふぅん。じゃあ無いな。それは俺ももらったことがある」


そう・・・だよな。
特別ってわけじゃなく、彼女の気遣いなのだ。

でも、それでも嬉しかった。

少なくとも、今回は俺のために買い求めてくれたのだから。

そう思うだけで、気持ちが暖かくなった。
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