流れのままに恋したい ~ 過去に傷ついたふたりの恋物語 ~
「慌てるな、まだ4階だぞ」

「あ・・・」


そう俺に声を掛けられ、急激に顔が真っ赤になった。

驚かせてしまったかと、すぐに手を離したものの『ふぅ』と小さく息を吐いて、必死に落ち着こうとしているようだった。


彼女の手首は想像していたより細く、やわらかかった。
まだつかんだ時の感触が、手に残っていた。


3階でエレベーターを降り、振り返らずにミーティングルームに向かう。
後ろをついてきているのだから当然なのだが、背中に彼女の視線を感じた。


「俺の背中に穴があく」


ちょっとふざけて言ってみる。


「え?」

「なんか、熱い視線を感じるんだよな」


ミーティング前に彼女の緊張感を和らげようと、笑わせたくて言葉を重ねたのに。


「そんなに見てませんから! もう・・・からかわないでください」


からかう?
思わぬ強い反応をされて、彼女を振り返る。
ふざけ過ぎたか・・・。


真面目な顔、いや、少し怒ったような顔の彼女を見て、なぜか、初めて会った時のことを思い出した。

そういえば、彼女はまだ俺に気付いていないようだ。


「澤田さんは、相変わらず気付いてないんだな・・・」


ひとり言のようにつぶやく。


「え?」

「あ、いや・・・。行こうか」


目的の場所に到着し、俺は来客用スペースのドアを開けた。


いざ担当の業務に入ってしまえば、立場上、俺はマネジメントする側だから、業務上の接点はあまり無い。

もちろん相談に乗ったり、場合によっては仕切ったりすることがあるとはいえ、それが頻繁なのは逆に問題だ。

日々の動きや、挨拶を交わす様子を見ている限り、それほど問題は無さそうだった。


ただ、時折ぼんやりとパソコンの画面を眺めていることがあり、いつ声を掛けようかタイミングを見ていた。

早川さんとランチに出掛けたところを見ると、食べる元気はあるのだろうし、もう少し様子を見るか・・・。


「上野、メシ行くか?」

「副社長、珍しいですね。時間あるんですか?」

「ほらここ」


俺のパソコンのスケジュール画面を、トントンと指差す。


「ああ、キャンセルになったんですね。あれ、このミーティングって・・・」

「そう、おまえもだ。ほら、行くぞ」

「はい。副社長、今日は何の気分ですか?」

「うーーーん、肉だな」

「じゃあ、向かいのビルの店で・・・予約取りますよ。ちょっと待っててください」

「ああ、頼むよ」


店に向かいながら、副社長が新しい秘書の話をしてくる。
優秀らしいが、プラスアルファの気遣いがほしいと笑っていた。

出張に行くとなればお守りを用意したり、口に合いそうな美味いケーキを探してくるのは、彼女の人柄だろうなぁと、早くも懐かしんでいるようだった。

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