流れのままに恋したい ~ 過去に傷ついたふたりの恋物語 ~
オフィスのビルを出ると、少し先に彼女を見つけた。


あっという間に追いつき、声を掛けようとしたところで、彼女の肩が少し揺れた。

笑ってる・・・?


「今日はよく笑うんだな」


話し声が届くくらいの距離で、声を掛けた。


「え?」


振り返った彼女に、後ろをついてきたと思われないように言い訳をした。


「歩くのがゆっくりだったから、追いついた」

「あ・・・普段はもう少し早いんですけど、ちょっと考えごとしてて」


仕事のことを考えているようには見えなかった。
小さく、笑っていたから。


「それって・・・あいつのことか?」


思わず口にしてしまった。


「あいつ? あぁ、板谷ですか」


その言い方が『違う』と示している気がしたが、確かめたかった。


「違うのか?」

「違います」

「考えごとしながら笑うなんて、好きな男のことでも考えてたのかなって」

「えっ?」


キッパリと否定した割には、『好きな男』のフレーズに反応したように見えた。

少し間があって、彼女は思いもよらない言葉を口にした。


「部長のこと、考えて・・・ました」


え・・・?


「ごめん、今なんて言った?」


思わず声が大きくなった。


「部長のこと、考えてました」


彼女は、同じ言葉を繰り返した。


「あ、そう・・・なんだ。えっと・・・」


どういう反応をすればいいんだ。
予想外すぎて、対処できなかった。


「ふふふ」

「・・・笑うなよ」

「だって・・・ふふ」


彼女が笑う顔を見ていると、頬に触れたくなる。


「自分から、好きな男のことでも考えてたのか・・・って言った手前、慌てたんだ」


頬に触れることはさすがに躊躇って、俺は彼女の手をつかんだ。


振り払われることはなかったが、うつむいてしまった。
まずかった・・・か?


ほんの数メートル進んだところで、ふいに彼女が言った。


「あの、私、本屋さんに寄って帰るので・・・」


それを聞いて、俺はパッと彼女の手を離した。
暗に、離してほしいと言われた気がして。


「あ、うん、また明日。お疲れさま」

「お疲れさまです」


プシューーー。

彼女は、自動ドアの奥に吸い込まれていった。


歩きながら、ぼんやり考えた。


誰かを好きになるって。
好きになって、想いを通わせるのって。

こんなに、難しいことだっただろうか。


好きだと伝えて、抱き締めてキスしたい。

言葉にすると、たったこれだけなのに。


まだ何も、できていない。
手に触れるだけで精一杯だ。


何も、変わっていないのかもしれない。

気持ちの整理がついただけで、俺のしていることは、あの時と何も変わらない。

そばにいたいと思えば思うほど、踏み出せない。


あの時だって、誰よりも、俺が大切にしたかったのに。
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