流れのままに恋したい ~ 過去に傷ついたふたりの恋物語 ~
「部長って呼ぶの、やめない?」

「え?」

「外だしさ」

「あ、ごめんなさい。気が付かなくて」


おそらく彼女は、外で役職を呼ぶのもどうかと考えたくらいだろう。


「上野・・・さん。なんだか、呼び慣れないですね」


恥ずかしそうに呼ぶ彼女に、俺の心臓が反応した。

必死に、自分で自分をごまかした。


「俺の名前呼んで照れるなよ。こっちが恥ずかしくなるだろ」


そう言った俺の背中に向かって、もう一度彼女が名前を呼ぶ。


「上野さん」


俺は立ち止まり、彼女を振り返らずに大きく息を吐いた。

もう、ごまかせない。


「ごめん、もういい。部長でいい」

「え?」

「俺が無理」

「上野さん」

「だからもう・・・」


振り返ると、彼女の瞳が揺れていた。
なんだか、泣きそうな目をしている。


「どうしてそんな顔するんだよ」


そう言った俺に、彼女が変わらない表情のまま問いかける。


「私、どんな顔してますか?」


答えるのが先か、手をのばすのが先か。


「切なそうな顔。もう・・・無理」


俺は、彼女を自分の胸に引き寄せて抱き締めた。


近すぎる距離に、彼女の心臓の音が聞こえる気がした。
俺とどちらが早いのかと思うほど、彼女の鼓動も早かった。


ふっ、と懐かしい匂いがした。
彼女を助けた時に感じた匂いと、同じ匂いだった。


「これ・・・何の匂いだろ。シャンプーか、香水か・・・いい匂いがする」


彼女を抱き締めたまま、耳のそばでささやいた。


「香水・・・だと思います。お花屋さんみたいな、香りじゃないですか?」

「あぁ、そうなんだ。花屋って、こんないい匂いだって知らなかった」

「上野さんも・・・シトラスの香りがします」

「うん、ちょっとだけ付けてるから」

「この香り・・・どこかで・・・」


もしかして、気付いたか?


「あ、いえ。あの・・・いつまで・・・こうやって」


あたりはもう暗くなって、それほど目立たない。
俺はもう少し、このままでいたかった。


「いつまでだろ。離したくなくて」


素直に口にした。


でも、彼女は俺の胸に両手を当て、腕の中から離れていった。


「・・・ごめんなさい」

「あ、いや、俺のほうこそ、ごめん・・・」


彼女の気持ちが分からなかった。

俺も彼女も、決定的なひと言は、お互い口にしていなかった。


「私、聞いたんです」

「え? 何を?」


何を・・・聞いたんだ?
彼女の、熱を失った視線が気になった。


「上野さん、大切に思ってらっしゃる方がいるんですよね?」


何を、言ってるんだ?


「何年も前から好きな人がいる・・・って。だから・・・」

「だから?」

「思わせぶりなこと・・・しないでください。これ以上・・・」


彼女は、俺が一番聞きたかった言葉を飲み込んだ。
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