流れのままに恋したい ~ 過去に傷ついたふたりの恋物語 ~
「莉夏?」


オフィスから駅までの道を歩いていると、後ろから私を呼ぶ声がした。

振り返ると、同期の板谷 圭悟(いたや けいご)だった。

同期にもうひとり男性の「澤田」がいることもあって、彼は私を『莉夏』と呼び、私は彼を『板谷』と呼んでいた。


「板谷、いま帰り?」

「うん。莉夏、この時間珍しいな」


確かに、秘書だった頃はほとんど残業がなく、18時頃にはオフィスを出ていた。


「ようやく秘書から解放されたのよ。IT企画に戻って、普通に仕事してる」

「ふーん、そうなのか」


板谷は、マーケティング部に所属していて、顧客の分析なんかをしていたはずだ。


「板谷は? 最近忙しい?」

「まぁまぁかな。来週、大阪に出張する予定」

「あー、いいな、大阪。美味しいもの食べたい」

「ふーん、一緒に行くか?」

「え? 一緒に・・・って、仕事でしょ?」

「フフ、冗談だよ」


冗談・・・。
気持ちがピリッと反応する。


「ねぇ、板谷」

「何?」

「私って、からかうと面白い?」

「え?」

「だっていまも・・・」

「あ、ごめん。そんなつもりじゃないんだけど」


板谷の顔が曇る。


『じゃあ、どんなつもり?』

そう詰め寄ったら、板谷はどんな反応をするんだろうか。


でも、違うんだ。
本当に詰め寄りたいのは、板谷じゃない。

どんなつもりかを聞きたいのは、思わせぶりにからかう部長なのだから。


「私も、ごめん」

「莉夏?」

「ちょっと意地悪した」

「え?」

「じゃ、私、地下鉄だから。板谷はバスだよね。お疲れさま」

「あ、おい、莉夏!」


呼び止める板谷の声は聞こえていたものの、私はそのまま地下鉄の階段を降りた。

電車に乗り、地下の景色が流れる窓に、ぼんやりと焦点を合わせる。


いまの会社に転職して、半年も経たずに秘書室に異動。慣れない秘書業務は、覚えなければいけないことが多くて必死だった。

この1年半の間、仕事を優先していたこともあって、恋愛にエネルギーを傾ける余裕も無かった。

というよりは、それを言い訳に避けてきた・・・かな。


30歳を過ぎたあたりから、同期や友人たちが立て続けに結婚した。

『何年か新婚生活を楽しんで、35までには子供産みたいから』

まぁ、それも分かるんだけど。


やっと、自由になれたんだし。
特定の誰かがいるわけでもないし。

特定の誰か・・・。


部長には、特定の誰かがいたりしないのかな。

仕事はできるし。
話しやすい方だと思うし。
偉そうにしたりしないし。
スーツの立ち姿も、いつもスッとしてる。

全然いてもおかしくない。


そうだよね。

早川さんいわく、結婚はしていないそうだけれど。

きっと特定の誰かがいて、その人とプライベートを過ごしているのだろうと思うことにした。
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