情熱の続き
5.歪んだ感情
ロンドンに向かう飛行機の中は静かだった。
とはいっても深夜便なので機内のライトは消灯され、多くの乗客が寝ているので当然といえる。里穂は少しだけ目を開けて隣にいる貴広の寝顔を見た。本社に行ったついでに結局上司と最後にいっぱい(たくさん)お酒を飲んできた彼は気持ちよさそうに眠っている。
いいのか悪いのか、里穂が一人で過ごしていた時間に何をしていたのかを話す時間もなかった。

宗一郎とは、今夜会わなくてもいいはずだった。数日前に桃子と貴広と四人で集まれて、学生時代のように楽しく過ごして、笑顔で手を振って別れて、それでよかったはずだった。

「どうして私を抱きしめたの」という里穂の言葉が貴広に聞かれてしまっていたことを考えれば、二人で会うことはもちろん、連絡を取ることもするべきではないのだ。
ただ、これまで親しかったはずの宗一郎とのメールがロンドンに行ってから疎遠になってしまうのは寂しかった。

「宗のことがとても大切」

本当だった。里穂は、初めて自分の気持ちを自分の言葉にして、宗一郎に伝えた気さえした。
それでも伝えきれない何かを、自分の腕に込めたのだと里穂は思っている。抱擁は、ときに言葉より多くを伝える。それを知ってしまったのは、皮肉にも宗一郎が自分を抱きしめた一瞬だった。

でも今は、それ以上のことはなかった。ほかに表現できなかったともいえる。宗一郎の存在の貴重さは、尊さは。

隣の座席で静かに眠る貴広の横顔を見ていると、それは愚かな行動だったのかもしれないと里穂は思う。彼の胸元で少しずり落ちたブランケットをかけ直して、里穂はつい微笑む。
貴広には貴弘のの、宗一郎には宗一郎でしか埋められないものが里穂の胸にあるのだ。

ロンドンに戻ってからは、日常はこれまで通りだった。里穂は一度、宗一郎にメールをした。無事にロンドンに着いたと。宗一郎からはよかったと、そして体調に気を付けてと一言返事がきた。特にこれといって内容はない。ただお互いの存在を確認する。お互いを大切に想っていることを確認して、安心を得るだけ。それでも、それがないよりいいのだ。
あの一瞬があったから、宗一郎とは離れていても、声を聞けなくても、それでも信じられて安心できる。
そのことについてふと里穂が考えるとき、貴広以上に宗一郎に特別な想いを自分は抱いているのだろうか、と思う。

その瞬間、左手の薬指の指輪がやたらと主張しているように見えた。
本当は考える必要のないことだ。結婚している。誓いは、重いものだ。

それに、宗一郎には桃子が紹介した女の子がいる。詳しくはわからないけれど、何より宗一郎が幸せになることを邪魔したくない。
それでも、宗一郎が結婚して、自分の知らない女性と一緒に暮ら始めたら、素直に祝福できるだろうか。自分の中にこんなに歪んだ感情があるのかと思って、あわてて否定する。

それでも想像すらつかない桃子の後輩の女の子を想像しながら、里穂は一人、少しぬるくなったミルクティを啜った。
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