情熱の続き
6.満たされない自分のために
ロンドンに来て2回目の春が過ぎて、公園の緑は少しずつ勢いを増していく。季節は初夏を感じさせ始めていた。
その日は、里穂は同じ集合住宅に住む真弓に誘われてお茶をしていた。日本のお菓子があるからと誘われたのだ。
福岡出身だという彼女は八女茶と博多の銘菓を出してもてなしてくれた。
「おひとりで帰られたんですか。」
鮮やかな緑色の液体が手元で揺れる。まろやかな緑茶を啜りながら里穂は相手に不快感を与えない程度に少しだけ目を丸くした。
「ええ。うちは別々に帰るのよ。今回久しぶりだったけれど。妹が結婚式を上げるっていうから、せっかくだしと思って」
佐伯夫妻は二人でいるときいつも並んで歩いている。各自がそれぞれ帰国するというのは意外なほどに、とても仲睦まじい夫婦だった。
「旦那の実家は大阪だし、それぞれで帰ったほうが楽だねって話なの。必要あれば一緒に帰国することもあるけど、私はこういう立場だからたまに一人で帰るのよ。もちろん頻繁にできることでないけれど、気楽でいいの。相手の実家で気を遣っちゃうのはお互い様だし、これはこれでいいかなって。」
真弓の言葉に里穂は、なるほど、というように頷いてまたお茶を啜った。
「それに、単身赴任でも済む話を、こうして一緒にいるんだから十分のはずと思ってるの」
少しだけ気の強さをみせて笑って言う真弓の言葉に、いつだったか貴広が海外転勤について「一人でも行ける」と言ったことを思い出す。転勤とは、必ずしも妻が必要なものではないのだ。それでも一緒に行きたいと言うことの意味。その意味の、想いの強さ。それを無視できるはずがなかった。
それでも「汝、健やかなるときも病めるときも」という誓いの言葉通り、夫婦とは常にともにいるものと思っていた里穂にとって、真弓の話はとても気楽になった瞬間だった。
「だからね、この間、里穂さんたちが二人で帰国したって聞いて、仲がいいなあって思って。里穂さんのご実家で過ごされたんでしょう?本当にいい旦那さんよね」
真弓にはお土産を渡しつつ、そのときのことは話してあった。里穂の両親が軽井沢にいて、貴広とともに三泊したことも。貴広がいい夫であることは間違いなかった。同時に、自分もよき妻でいたいと里穂は思っていた。いかなるときも寄り添い、彼の力になるのが妻なのだと。そしてそれが自分で自分を苦しめていることも、なんとなく気づいていた。
「でもね、一人で帰国するのだって悪いことじゃないのよ。仲がよくたって、一人で少し日本に戻ることは、別に非難されるようなことじゃないんだから。里穂さんももっと気楽に今の生活を楽しんでいいと思うわ」
先輩面してごめんね、とわずかに申し訳なさそうに真弓は言うが、里穂にとっては大変ありがたい言葉だった。
「一人で、帰ってみようかな」
日本にいる誰のためでもない。自分のために。
独り言のような里穂の言葉に真弓はきちんと反応した。大丈夫だよ、リフレッシュしてくればいいよと笑顔で。
その日は、里穂は同じ集合住宅に住む真弓に誘われてお茶をしていた。日本のお菓子があるからと誘われたのだ。
福岡出身だという彼女は八女茶と博多の銘菓を出してもてなしてくれた。
「おひとりで帰られたんですか。」
鮮やかな緑色の液体が手元で揺れる。まろやかな緑茶を啜りながら里穂は相手に不快感を与えない程度に少しだけ目を丸くした。
「ええ。うちは別々に帰るのよ。今回久しぶりだったけれど。妹が結婚式を上げるっていうから、せっかくだしと思って」
佐伯夫妻は二人でいるときいつも並んで歩いている。各自がそれぞれ帰国するというのは意外なほどに、とても仲睦まじい夫婦だった。
「旦那の実家は大阪だし、それぞれで帰ったほうが楽だねって話なの。必要あれば一緒に帰国することもあるけど、私はこういう立場だからたまに一人で帰るのよ。もちろん頻繁にできることでないけれど、気楽でいいの。相手の実家で気を遣っちゃうのはお互い様だし、これはこれでいいかなって。」
真弓の言葉に里穂は、なるほど、というように頷いてまたお茶を啜った。
「それに、単身赴任でも済む話を、こうして一緒にいるんだから十分のはずと思ってるの」
少しだけ気の強さをみせて笑って言う真弓の言葉に、いつだったか貴広が海外転勤について「一人でも行ける」と言ったことを思い出す。転勤とは、必ずしも妻が必要なものではないのだ。それでも一緒に行きたいと言うことの意味。その意味の、想いの強さ。それを無視できるはずがなかった。
それでも「汝、健やかなるときも病めるときも」という誓いの言葉通り、夫婦とは常にともにいるものと思っていた里穂にとって、真弓の話はとても気楽になった瞬間だった。
「だからね、この間、里穂さんたちが二人で帰国したって聞いて、仲がいいなあって思って。里穂さんのご実家で過ごされたんでしょう?本当にいい旦那さんよね」
真弓にはお土産を渡しつつ、そのときのことは話してあった。里穂の両親が軽井沢にいて、貴広とともに三泊したことも。貴広がいい夫であることは間違いなかった。同時に、自分もよき妻でいたいと里穂は思っていた。いかなるときも寄り添い、彼の力になるのが妻なのだと。そしてそれが自分で自分を苦しめていることも、なんとなく気づいていた。
「でもね、一人で帰国するのだって悪いことじゃないのよ。仲がよくたって、一人で少し日本に戻ることは、別に非難されるようなことじゃないんだから。里穂さんももっと気楽に今の生活を楽しんでいいと思うわ」
先輩面してごめんね、とわずかに申し訳なさそうに真弓は言うが、里穂にとっては大変ありがたい言葉だった。
「一人で、帰ってみようかな」
日本にいる誰のためでもない。自分のために。
独り言のような里穂の言葉に真弓はきちんと反応した。大丈夫だよ、リフレッシュしてくればいいよと笑顔で。