ミテハイケナイ
※※※
私には、普通の人には視えないものが視える。
それはいわゆる、幽霊と呼ばれるもので。物心が付く頃には、”ソレ“は当たり前のように私の生活の中に存在していて、それは高校生になった今でも相変わらずだった。
視えるからといって、別に何かが起こるわけではないのだけれど……。強いて言うなら、”ソレ”は普通の人間となんら変わりなく存在する為、見分けがつかなくて困る、ということくらいだろうか。
こちらに向かって歩いて来る女性を避けるようにして左へと移動すると、「愛華、急にどうしたの?」と不思議そうな顔を見せる友達の里香。
(あぁ……。また、やってしまった)
どうやら、あの女性は”こちら側の住人”ではなかったらしい。
「……ごめん。ちょっと、ボーッとしてた」
「もうっ。またぁ〜?」
申し訳なさそうに薄く笑ってそう答えれば、そんな私を見た里香は呆れた様な顔を見せる。
生きた人間と”そうではない者”を見分けられないとは、結構厄介なものだ。そんな私の行動は、きっと側から見たら少し妙に映っているのだろう。
幼かった頃は、理解してもらおうと両親や友達に必死に説明したりもした。けれど、皆一様にして不可解な顔を見せるだけで、誰も私の言う事など信じてはくれなかった。
視えない人に説明したって無駄なのだ。そもそも、視えないのだから信じようがないではないか。そう納得してからは、自分には”普通の人には視えないモノが視える”、なんて不要な説明はしなくなった。
それでもやはり、私の行動は少し奇妙な事が多いようで、今では”少し変わった子”として周りから認識されている。
だからといってイジメに合っているわけでもないし、それなりに友達もいて平穏な生活を送れている。
「あっ! そーいえばさぁ〜。今日ね、瑞希から面白そーなの借りちゃったんだよね〜」
「面白そうなもの……?」
楽しそうに声を弾ませた里香は、鞄をゴソゴソとさせると中から1枚のDVDを取り出した。
「……じゃ〜んっ! コレ、コレ! ちょー怖いらしいよっ!」
相変わらず楽しそうに声を弾ませる里香の手元を見てみれば、その手に握られていたのは最近流行っているホラー映画だった。
なんでも、ここ数年のホラー界でも1番の怖さだとか……。そんな話しを、クラスの人達が話していたのを思い出す。
「それ、流行ってるみたいだね」
「うん、そうそう! 瑞稀なんかねー、怖すぎて泣いちゃったらしいよ」
そんな事を言いながら、可笑そうにケラケラと笑ってみせる里香。
「……でさっ。早速、今日見てみない?」
「うん。いいね、見よっか」
「やったぁ〜! よーっし、このまま愛華んちにレッツゴ〜!」
嬉しそうに小さく飛び跳ねた里香を見て、その可愛らしさにクスリと笑い声を漏らす。
正直、ホラー映画はあまり得意ではないのだけれど……。きっと、里香と一緒なら何でも楽しめるだろう。
そう思えるほどに、里香とは気が合うし一緒に居て楽しいのだ。
「これさ、ちょーーっっ! 怖い幽霊が出て来るんだって〜」
「そうなんだぁ。やだなぁ……今日、お父さんもお母さんも仕事で遅くなるって言ってたし……。お風呂入れなくなったらどうしよぉ」
「愛華はビビリだね〜っ。しょうがない! 今日は里香様が泊まってあげるから、一緒にお風呂入ろ〜よっ! 私、まーったく霊感とかないからさっ!」
そんな事を言いながら、アハハッと楽しそうに笑う里香。
「でもさ、視えちゃったら怖いんだろな〜幽霊」
「そうだね」
実際、幽霊が視えたからといって、そうそう怖い目に遭う事などないだろう。むしろ、見分けがつかない程にあまりに”普通”なのだ。
たまに、”関わってはいけない”空気のモノがいたりもするのだけれど、そんな時は気付かないフリをして静かに通り過ぎる。ただ、それだけ。
私からしてみれば、怖がらせる為に作られたホラー映画の方がよっぽど怖い。
とはいえ、視えないに越したことはないし、視えない里香がちょっと羨ましかったりもする。
「お菓子いっぱい買ってこ〜ねっ」
「うんっ。あと、下着も忘れないでね」
楽しそうにニコニコとしながら話す里香につられて、私の顔にも自然と笑顔が溢れる。
——その後、近くのスーパーとコンビニで大量のお菓子とジュースを買い込んだ私達は、私の自宅であるマンションへと着くと、1階にあるエレベーターホール前で足を止めた。
「……おっも〜い!」
「ちょっと、買いすぎちゃったね」
どうやら、あまりの楽しさに少し買いすぎてしまったらしい。その場に荷物を下ろすと、クタクタになった手足を軽く揉み解す。
(これはきっと、明日は筋肉痛だなぁ……)
そんな事を考えながら、目の前のエレベーターを見上げる。どうやら、8階で止まっているようだ。
(……もう少し休憩しよ)
そんな事を考えながらフーッと大きく息を吐くと、疲れた身体を脱力させる。
築10年程の、どこにでもある8階建のマンション。その2階部分に住んでいる私は、普段ならタイミングよくエレベーターが来ない限り、こうして待つ事なく階段で2階へと上がってしまうのだけれど……。流石にこの荷物と疲労だ。今日は、迷わずエレベーター1択だった。
7階、6階と、地上に向けて動き出したエレベーターを確認した私は、床に下ろした荷物を再び抱えると、降りる人の邪魔にならないよう少し端に移動する。そんな私の動きに気付いた里香も、再び荷物を抱えると私の隣に移動した。
そのまま3階、2階と地上へと向かって近付いてくるエレベーター。
———!!!!
1階へと降りてきたエレベーターを確認するや否や、私は持っていた荷物を床へと投げ捨てると、隣にいる里香の腕を掴んで一目散に2階へと駆け上がった。
(————っ! ヤバイ……っ!! ヤバイヤバイヤバイ!!! なんなの……っ、アレ——!!?)
ガラス張りになっているエレベーターの扉から視えた”アレ”は——明らかな殺意と憎悪に満ちていた。
今まで経験した事のない、腹の底から這い上がってくるような恐怖に、私の身体はガタガタと震え始めた。それでも、掴んだ里香の腕を懸命に引っ張りながら、自宅へと向かって必死に走り抜ける。
私は震えてうまく動かない右手でガチャガチャと鍵を開けると、そのまま里香を連れて勢いよく玄関の中へと飛び込んだ。未だ止まぬ恐怖にヘタリとその場に崩れ落ちると、ガタガタと震える身体を両手で抱き締める。
(なん……っ、なの……アレは——!!?)
ガラス越しに視えた、刃物片手に全身真っ赤に血を浴びた男性。まるで、その血生臭さが空間全体を充満し、その場を支配してしまうかのような生々しさ。
目が合ってしまった時の、あの、恐ろしいまでの殺意——。
私がこれまで視てきたそのどれよりも禍々しく、間違いなく”関わってはいけないモノ”なのだと、身体全体が警告している。
「……っ。なん……、なの……っ」
ポツリと小さく溢れ出た声に視線を向けてみると、床に座り込み大きく肩で息をする里香がいる。
何の説明もなく走り出した私に、半ば強引に連れてこられたのだ。「何なの?」とは、当然の疑問だろう。
未だカタカタと震えて呼吸の上がっている私は、とりあえず落ち着かせようと、里香へ向けて震える右手を伸ばそうとした——その時。
「——っ! 何なの、アレ……っ!!?」
突然の里香の大声に、伸ばしかけていた右手をピタリと止めると、私の口から情けない程小さな声が溢れた。
「……え……っ、?」
視えないはずの里香の口から出た、”アレ”という言葉。
徐々に落ち着きを取り戻しつつあった私の身体は、再びガタガタと大きく震え始めた。
(視え、る……っ? 里香にも……視え……っ、”見えてる”——!!!)
——そう理解した私は、勢いよく玄関扉を振り返った。
中に逃げる事に必死で、施錠し忘れたままの玄関扉。その扉に向かって手を伸ばした——次の瞬間。ガチャリと動いたノブは、私の目の前でゆっくりと扉を開いていった。
徐々に大きく開かれてゆく扉から侵入してくるのは、吐き気を催すほどの血生臭さい外気。
それはまるで、この空間全てを禍々しいほどの殺意で覆い尽くすかのようにして、恐怖に震える私達を飲み込んだのだった——。
—完—
私には、普通の人には視えないものが視える。
それはいわゆる、幽霊と呼ばれるもので。物心が付く頃には、”ソレ“は当たり前のように私の生活の中に存在していて、それは高校生になった今でも相変わらずだった。
視えるからといって、別に何かが起こるわけではないのだけれど……。強いて言うなら、”ソレ”は普通の人間となんら変わりなく存在する為、見分けがつかなくて困る、ということくらいだろうか。
こちらに向かって歩いて来る女性を避けるようにして左へと移動すると、「愛華、急にどうしたの?」と不思議そうな顔を見せる友達の里香。
(あぁ……。また、やってしまった)
どうやら、あの女性は”こちら側の住人”ではなかったらしい。
「……ごめん。ちょっと、ボーッとしてた」
「もうっ。またぁ〜?」
申し訳なさそうに薄く笑ってそう答えれば、そんな私を見た里香は呆れた様な顔を見せる。
生きた人間と”そうではない者”を見分けられないとは、結構厄介なものだ。そんな私の行動は、きっと側から見たら少し妙に映っているのだろう。
幼かった頃は、理解してもらおうと両親や友達に必死に説明したりもした。けれど、皆一様にして不可解な顔を見せるだけで、誰も私の言う事など信じてはくれなかった。
視えない人に説明したって無駄なのだ。そもそも、視えないのだから信じようがないではないか。そう納得してからは、自分には”普通の人には視えないモノが視える”、なんて不要な説明はしなくなった。
それでもやはり、私の行動は少し奇妙な事が多いようで、今では”少し変わった子”として周りから認識されている。
だからといってイジメに合っているわけでもないし、それなりに友達もいて平穏な生活を送れている。
「あっ! そーいえばさぁ〜。今日ね、瑞希から面白そーなの借りちゃったんだよね〜」
「面白そうなもの……?」
楽しそうに声を弾ませた里香は、鞄をゴソゴソとさせると中から1枚のDVDを取り出した。
「……じゃ〜んっ! コレ、コレ! ちょー怖いらしいよっ!」
相変わらず楽しそうに声を弾ませる里香の手元を見てみれば、その手に握られていたのは最近流行っているホラー映画だった。
なんでも、ここ数年のホラー界でも1番の怖さだとか……。そんな話しを、クラスの人達が話していたのを思い出す。
「それ、流行ってるみたいだね」
「うん、そうそう! 瑞稀なんかねー、怖すぎて泣いちゃったらしいよ」
そんな事を言いながら、可笑そうにケラケラと笑ってみせる里香。
「……でさっ。早速、今日見てみない?」
「うん。いいね、見よっか」
「やったぁ〜! よーっし、このまま愛華んちにレッツゴ〜!」
嬉しそうに小さく飛び跳ねた里香を見て、その可愛らしさにクスリと笑い声を漏らす。
正直、ホラー映画はあまり得意ではないのだけれど……。きっと、里香と一緒なら何でも楽しめるだろう。
そう思えるほどに、里香とは気が合うし一緒に居て楽しいのだ。
「これさ、ちょーーっっ! 怖い幽霊が出て来るんだって〜」
「そうなんだぁ。やだなぁ……今日、お父さんもお母さんも仕事で遅くなるって言ってたし……。お風呂入れなくなったらどうしよぉ」
「愛華はビビリだね〜っ。しょうがない! 今日は里香様が泊まってあげるから、一緒にお風呂入ろ〜よっ! 私、まーったく霊感とかないからさっ!」
そんな事を言いながら、アハハッと楽しそうに笑う里香。
「でもさ、視えちゃったら怖いんだろな〜幽霊」
「そうだね」
実際、幽霊が視えたからといって、そうそう怖い目に遭う事などないだろう。むしろ、見分けがつかない程にあまりに”普通”なのだ。
たまに、”関わってはいけない”空気のモノがいたりもするのだけれど、そんな時は気付かないフリをして静かに通り過ぎる。ただ、それだけ。
私からしてみれば、怖がらせる為に作られたホラー映画の方がよっぽど怖い。
とはいえ、視えないに越したことはないし、視えない里香がちょっと羨ましかったりもする。
「お菓子いっぱい買ってこ〜ねっ」
「うんっ。あと、下着も忘れないでね」
楽しそうにニコニコとしながら話す里香につられて、私の顔にも自然と笑顔が溢れる。
——その後、近くのスーパーとコンビニで大量のお菓子とジュースを買い込んだ私達は、私の自宅であるマンションへと着くと、1階にあるエレベーターホール前で足を止めた。
「……おっも〜い!」
「ちょっと、買いすぎちゃったね」
どうやら、あまりの楽しさに少し買いすぎてしまったらしい。その場に荷物を下ろすと、クタクタになった手足を軽く揉み解す。
(これはきっと、明日は筋肉痛だなぁ……)
そんな事を考えながら、目の前のエレベーターを見上げる。どうやら、8階で止まっているようだ。
(……もう少し休憩しよ)
そんな事を考えながらフーッと大きく息を吐くと、疲れた身体を脱力させる。
築10年程の、どこにでもある8階建のマンション。その2階部分に住んでいる私は、普段ならタイミングよくエレベーターが来ない限り、こうして待つ事なく階段で2階へと上がってしまうのだけれど……。流石にこの荷物と疲労だ。今日は、迷わずエレベーター1択だった。
7階、6階と、地上に向けて動き出したエレベーターを確認した私は、床に下ろした荷物を再び抱えると、降りる人の邪魔にならないよう少し端に移動する。そんな私の動きに気付いた里香も、再び荷物を抱えると私の隣に移動した。
そのまま3階、2階と地上へと向かって近付いてくるエレベーター。
———!!!!
1階へと降りてきたエレベーターを確認するや否や、私は持っていた荷物を床へと投げ捨てると、隣にいる里香の腕を掴んで一目散に2階へと駆け上がった。
(————っ! ヤバイ……っ!! ヤバイヤバイヤバイ!!! なんなの……っ、アレ——!!?)
ガラス張りになっているエレベーターの扉から視えた”アレ”は——明らかな殺意と憎悪に満ちていた。
今まで経験した事のない、腹の底から這い上がってくるような恐怖に、私の身体はガタガタと震え始めた。それでも、掴んだ里香の腕を懸命に引っ張りながら、自宅へと向かって必死に走り抜ける。
私は震えてうまく動かない右手でガチャガチャと鍵を開けると、そのまま里香を連れて勢いよく玄関の中へと飛び込んだ。未だ止まぬ恐怖にヘタリとその場に崩れ落ちると、ガタガタと震える身体を両手で抱き締める。
(なん……っ、なの……アレは——!!?)
ガラス越しに視えた、刃物片手に全身真っ赤に血を浴びた男性。まるで、その血生臭さが空間全体を充満し、その場を支配してしまうかのような生々しさ。
目が合ってしまった時の、あの、恐ろしいまでの殺意——。
私がこれまで視てきたそのどれよりも禍々しく、間違いなく”関わってはいけないモノ”なのだと、身体全体が警告している。
「……っ。なん……、なの……っ」
ポツリと小さく溢れ出た声に視線を向けてみると、床に座り込み大きく肩で息をする里香がいる。
何の説明もなく走り出した私に、半ば強引に連れてこられたのだ。「何なの?」とは、当然の疑問だろう。
未だカタカタと震えて呼吸の上がっている私は、とりあえず落ち着かせようと、里香へ向けて震える右手を伸ばそうとした——その時。
「——っ! 何なの、アレ……っ!!?」
突然の里香の大声に、伸ばしかけていた右手をピタリと止めると、私の口から情けない程小さな声が溢れた。
「……え……っ、?」
視えないはずの里香の口から出た、”アレ”という言葉。
徐々に落ち着きを取り戻しつつあった私の身体は、再びガタガタと大きく震え始めた。
(視え、る……っ? 里香にも……視え……っ、”見えてる”——!!!)
——そう理解した私は、勢いよく玄関扉を振り返った。
中に逃げる事に必死で、施錠し忘れたままの玄関扉。その扉に向かって手を伸ばした——次の瞬間。ガチャリと動いたノブは、私の目の前でゆっくりと扉を開いていった。
徐々に大きく開かれてゆく扉から侵入してくるのは、吐き気を催すほどの血生臭さい外気。
それはまるで、この空間全てを禍々しいほどの殺意で覆い尽くすかのようにして、恐怖に震える私達を飲み込んだのだった——。
—完—