クールな歌手の揺るぎない思い〜この歌が君に届きますように〜
ピンポン
無情にもエレベーターが到着を告げる。
2人は現実に引き戻される。
「小春。連絡先、教えてくれないか?
小春ともっと話しがしたい」
先輩が、私の事を名前呼びしてる。
と、小春は今更ながら気付く。
あの頃は西野って呼んでたはず。
きっと苗字が変わったから、名前で呼ぶのかなぁ。
なんて、ぼんやりそう思う。
1階に着いて扉が開いても、あいにく乗る人もいなかった為、2人は向かいあったままエレベーターの中で見つめ合う。
走って逃げ出したいような、ずっとここに止まっていたいような不思議な気持ちになって。言葉を発する事さえも忘れてしまう。
「あの。すいません。乗りたいんですけど、退いてくれませんか?」
走ってエレベーターに飛び乗ろうとした女性が1人、不機嫌そうに2人に言った。
「すいません。」
修哉が素早く反応し、未だ放心状態の小春の腕を優しく掴み1階フロアに降りた。
小春はやっとそこで、ハッとして修哉を見上げる。
「あのっ。
すいません。スマホ今、持ってなくて。
私、まだ仕事の途中で、早くお店に戻らないと怒られちゃいます。」
と、小さな嘘をつく。
お店からはこのまま、上がっていいと言われている為、本当はこの後、戻る必要もないようにスマホだって持っているのに。
修哉はめげる事なく、小春の腕を優しく引っ張り人の邪魔にならない壁際に誘導する。
おもむろに胸ポケットからボールペンを出し、近くにあったパンフレットの1枚にスマホ番号を書き、綺麗な手つきで畳んで、小春のエプロンの前ポケットに押し込んだ。
一連の動作を何かの作法のように優雅だなぁと小春は思いながらただ見つめていた。
「俺のプライベート番号。あんまり人には教えないから、落とさないで。」
「電話来なかったら、お店に行くから。覚悟して」
小春に念を押す事も忘れない。
これは、逃げられないなぁ。
先輩には昔から敵わない。
小春は観念するかのように、小さくため息をついた。
「いいね。
長くは待たない。
待てないから、今週中には絶対電話して。」
鋭く言い放ち。さっと踵を返してエレベーターに乗り込んだ。
やっぱり先輩だ。
強引なとこも変わらない。
小さく困り顔で微笑む小春に軽く手を振って、先輩はエレベーターの扉を閉めた。