もう、キスだけじゃ足んない。
***


「清見!」

「遥!胡桃ちゃん!
急いで乗って!」


「どういうことだよ。
なんで日向さんが、胡桃を……っ」


「説明はあと。とにかく事務所に行くよ」


急いで日誌を出して、学校を出て、待っていた清見さんの車に乗り込む。


日向さんて……?

私がよんでるって……?


「着いたよ。
胡桃ちゃん、ここが遥や杏、桃華も所属するステラプロモーションだよ」

「ここ、が……」


それから着いた高層ビル。

さすが大手芸能事務所だけあって、何階まであるのってくらい高い。

聞けばジムやサウナ、リハ用のスタジオと、所属する人向けにいろんな施設が入ってるらしくて。

私のような一般人が入ることは、ふつうは許されない場所。


「行こうか」


清見さんに促されて、そのあとを遥とふたりでついていく。


「胡桃」

「えっ……」


て、手……っ。

ぎゅっと絡まった指に思わず顔をあげる。


「じ、事務所だよ、ここ……っ」


怒られちゃう……。


「いいから」


このまま離さないで。

いつもより、少し低めのトーンの遥の声。

なにかを考え込むような厳しい表情。


なにが起こってるっていうの……?


「お疲れさまです」


清見さんに続いて、私たちも中に入る。

ガラス張りになっている正面に、デンっと大きなデスクや観葉植物が置いてあって。

その手前に、テーブルを挟んで大きなソファーが2つあった。

そこには、私たちに背を向けて座る男の人と、その正面にも、男の人が1人……。


バチッ。


あ、れ……。


あの人見覚えが……。


そう思った瞬間。


「日向。連れてきたぞ」

「ありがとね、千歳」


清見さんに応える、どこか甘さを含んだ心地よい低音ボイス。


私に背を向けて座っていたその人は、組んでいた足をゆっくり解くと立ち上がった。


「久しぶり、胡桃ちゃん。
その節はありがとうね」


「あ、あなたは……」


パーマがかかったシルバーの髪に、同じ色のリングピアス。


バサバサのまつ毛に、切れ長の二重の瞳。

スっと通った鼻筋に、薄い唇。


高い身長に、圧倒的オーラ。

どこをとっても完璧。隙がまったく見えないこの人は。

前にMateの撮影のときに、過呼吸になっていたのを助けた、人……。


「改めまして、自己紹介。
俳優兼シンガーソングライターをしてます、早生日向(わせ ひゅうが)です」


よろしくね、胡桃ちゃん。


「っ……」


人懐っこそうに穏やかな笑みを浮かべる。


ただただなにも言えない私の横で、握った手に遥がぎゅっと力をこめた気がした。
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