もう、キスだけじゃ足んない。


「大丈夫だよ。
遥ならもうすぐ戻ってくるはずだから」


胡桃ちゃん、びっくりすると思うよ。


「え?」


びっくり……?


「あの、清見さ……」


「ごめんね、胡桃ちゃん!
長らく待たせちゃって!」


「っ、い、いえ……!」


清見さんの言葉の意味を知りたかったのに、ちょうどスタジオへ着いてしまって。


「おつかれさま、胡桃ちゃん」


「お、おつかれさまです……!」


プラス、監督と早生先輩に話しかけられて、言うに言えなくなってしまった。


遥のこと聞きたかったのに……ん?あれ……?


先輩、どうして……。

さっきまで着ていたタキシードを脱いで、なぜかストライプのラメが入った黒のスーツを着ている先輩。

夜のふたりきりのシーン。

お嬢様と執事が愛を育む一番重要なシーンなのに。

それで撮影するのかな。


「じゃあ、早速撮影はじめるけど……日向くん、タキシードはどうしたの?それ、ソロで撮影してたときのまんまだよね」


あ、やっぱり。

さっきから気になってしょうがなかったと言わんばかりに監督がくるっと振り向く。


「大丈夫ですよ。着てますから」


「んん?」


にっこり笑った早生先輩に、監督さんも周りのスタッフさんも首をかしげたその瞬間。


「えっ!?」

「はっ!?」

「なんで……」


ザワっとした声の先。

スタッフさんが自然と道を開けて、その真ん中を堂々と歩いてくるその人は。


「はる、か……」


「俺に代わりまして、執事は弓削遥が努めます。
よろしくお願いします」


先輩の言葉と共に、タキシードを来た遥が、まっすぐこっちへ向かってくる。
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