もう、キスだけじゃ足んない。


「……頭を上げて、日向くん」


それからどれくらい時間が過ぎたのか。


「本当は日向くんにやってほしかったけど……本人たっての希望なら、俺は受け入れるよ」

「監督」


はぁっと深くため息をついた監督さんは、一度スッと目を閉じると、すぐにまっすぐ先輩を見た。


「この曲を作詞作曲したのも、構成を考えたのも、全部君だ」

「はい」


「君の希望に応えるよ」

「ありがとうございます……!」


「遥くん」

「はい」

「セリフは入ってる?いける?」

「問題ありません」

「OK!じゃあ行こうか!」


気持ち切り替えて!準備して!

重い空気を切るかのように大きく手を叩いた監督さんに、慌てて周りのスタッフさんが動き始める。


「遥くん、胡桃ちゃん」

「はい」

「はい」

「早速急で悪いんだけど、告白シーンから、切らないまま、キスシーン、いっても大丈夫?」


「大丈夫です」

「私も大丈夫です」


「おっけ!準備できたらいつでも言ってね」


そう言って、走ってスタッフさんの元へ向かう監督さん。


「遥……」

「話はあと。今はとりあえず、演技に集中」

「わ、わかった」


手はつないだまま、移動したベッドの上にゆっくり乗る。

遥に聞きたいことは、山ほどある。

先輩に呼び出されたのはこのことだったの、とか。

さっきの楽屋でのことも。


でも……私は今、お嬢様。

執事と秘密の恋をするお嬢様。

頭の中は全て空っぽにして、今は目の前のこの演技に集中しなきゃいけない。


一般人で、どこにでもいるような私なんかを選んでくれた先輩のために。

この曲を、よりよいものにするために。


最初の告白のシーンは、ベッドに押し倒されるところから。


「胡桃」

「うん、大丈夫」


私も心の準備、できたから。

瞬間、そっと肩を押されて仰向けになった私の上に、遥が覆いかぶさってきて。

ふっと目を閉じて、お嬢様になりきる。


「本番5秒前ー!4、3、2……」


「お嬢様」

「はい」
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