もう、キスだけじゃ足んない。


「……は、」


反応が遅れた。

その間30秒。

え、だって……は?

この人今なんて言った?

執事役?それはこの曲を作って、歌っている日向さん本人の役だろ。


「はあーあ!もう降参だよ、降参!!」

「はあ?」


今度は、なに?

さっきから言っている意味が全く分からなくて、自然と眉間にシワが寄るのが自分でもわかったし、先輩相手にタメ口になってしまう。


「あの、ほんとになんですか」


冗談なんてごめんだ。

言われる暇があったら、早く一人になりたい。


「うーん!」


この人、正気?

こっちは今にも怒りで爆発寸前だと言うのに、日向さんは座っていたイスから立ち上がると、グッと背伸びをして、なぜかスッキリしたように笑った。


「知らなかったんだけど、おまえ、胡桃ちゃんに振り向いてほしくて芸能界入ったんだって?」

「……」


清見のやつ……余計なことを。


「おまえに溺愛してる彼女がいるって話は聞いてたけど、まさか彼女のほうもあそこまでとはねえ……俺もう、立場ないじゃん」


「あそこまで?」


「いくら俺が名前よんだって、いくら俺がふれようとしたって、遥しか見えてないじゃん、演技中なのに。俺じゃなくて、俺を通しておまえを見てる。俺のことはこれっぽっちも見てない」


「……」


「しかもさ、こっちがキスしようとしてんのに、驚くとか照れるとか一切なくて、あくまで演技として淡々としてたし」


「……」


「おまえさ、こうなること、最初からわかってたんじゃない?いくら俺が胡桃ちゃんにアプローチしたって、微塵にも響かないってこと」

「……」


「分かってて、胡桃ちゃんが俺の相手役になることを了承した」

「……気づいてたんですか」


「千歳から話聞いて確信した。だって前に胡桃ちゃんがMateに出たときだって、千歳にブチ切れたんでしょ?俺に話通せって。そんなやつが他の男とMVとかぜったい許さないはずなのに」


「ふっ……」


「……なに笑ってんの」


「いえ?」


日向さんの言葉を聞いた瞬間、渦巻いていた怒りが一気に霧散して。

思った通り。予想通り。


「言ったじゃないですか」


「この間事務所で、『こっちこそ。やれるもんならどうぞ。意味ないと思いますけど』って」


思わず、口角が上がらずにはいられなかった。
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