もう、キスだけじゃ足んない。
***


「それで……遥が執事役に?」

「うん。ごめんね、ややこしいことしちゃって」

「い、いえ!」


それから撮影場所を離れた私たち3人は、噴水のあるバラ園までやってきた。

そして、並んで歩く遥と私に向かい合うように、先を歩いていた先輩は振り返って全てを話してくれた。


「そう、だったんですか……だから、執事役を遥に」


けどまさか、私……。


「胡桃?どうかした?」

「な、なんでもない!」


急に黙り込んだ私を心配したのか、いきなり顔をのぞき込まれて、思わずのけぞった。


わ、私……そうだ。

相手は先輩だって分かってるのに、そういうシーンのとき、ぜんぶ遥だと思って。

先輩に言われて、今初めて気づいた。


無意識、完全に無意識だった。

先輩が目の前にいるのに、撮影中なのに、先輩……執事じゃなくて、完全に私、相手を遥だと思って……。

ひぇえええーーーッ!

はずかしすぎる!


「胡桃ちゃん、俺が好きって言ってふれようとしてんのに、ぜんぜん照れもしないし、俺のほう見てくれないし。完全に遥のこと考えて女の表情になってたよ」


お、女の表情……。


「思い知らされたよ。いかにふたりが想いあってて、俺の入る隙なんかないってこと」


「早生先輩……」


苦笑いしながらも、切なく揺れた瞳が痛々しくて。

見ていられないほどに胸がぎゅっと苦しくなったけれど、目を逸らしちゃいけない。

先輩の話、ぜんぶ聞かなくちゃいけない。


「ほんとさ、甘利の言う通りだったよ」

「え?」

「遥には絶対勝てないって」

「甘利と、話したんですか……?」

「うん。今すぐやめといたほうがいいって言われたよ」


なんて、さらりと頬をなでる心地いい夜風が、どこか投げやりに笑う先輩の髪を揺らす。


「胡桃ちゃん」

「はい」

「最後にもう一回だけ、いいかな」

「はい……」


一瞬空を仰いで、目を閉じた先輩は、「これで最後」そう言わんばかりに、泣きそうなほど、見ているこっちが胸が張り裂けそうなほど、優しく笑った。


「好きだよ。
俺と、付き合ってください」


「ごめんなさい」


「うん、ありがとう……それと、俺の身勝手にいろいろ振り回しちゃってごめんね……遥」


「はい」


「大事にしろよ。俺の分まで」


「言われなくてもわかってます。
というか嫌って言われてもめちゃくちゃ大事にしてますし、それはこれからも永遠なんで」


「ハハッ、相変わらず重いなー、おまえは」

「なんとでもどうぞ」


「じゃあね、胡桃ちゃん。残りの撮影もがんばってね。遥、俺の代わり頼んだよ」


「もちろんです」


強くうなずいた遥に早生先輩は笑うだけで、一瞬ちらりと私を見たけれど、それ以上は何も言わず背を向けて去っていった。
< 224 / 323 >

この作品をシェア

pagetop