もう、キスだけじゃ足んない。


MVで、抱きしめられるシーンも、キスシーンもあるから、私の顔はばっちり映ってる。

だから、覚悟はしていた。


あの子だれ、遥くんの相手役の子。

え、彼女?遥くんて、彼女いたの?


bondの弓削遥の彼女であると知られることも。

遥のファンの子から、冷たい目で見られることも。

覚悟、していたはずなのに。


「胡桃……」

「大丈夫。大丈夫だから……」


MVが公開されてからというもの、遥のファンや、bondのファンの人から、外に出るたびに重くて冷たい言葉を投げかけられる日々。


「胡桃……」


ぎゅっと唇を噛みしめて、顔を長い髪で隠すようにうつむいて歩く。


我慢、我慢だよ。


泣いたら負け。

泣いたらあの人たちが言うことを認めていることになる。

負けたくない。

ファンでありながら、応援しているはずの遥のことを、落ちたな、なんて、言う人たちに。

何より、大事な桃華をひどい言葉で傷つけるような人たちに。


「帰ろう」

「胡桃……」


私は大丈夫。大丈夫だから。

あーちゃんがそんな苦しそうな顔しなくていいんだよ。

泣かない私のために、泣いてくれてありがとう。

怒れない私のために、怒ってくれてありがとう。


私はあーちゃんがいてくれるだけで、もうずっと救われてるから。


「ありがとう」


疲れて帰ってくる遥のために、遥に会うために、弱音なんか吐きたくない。

これからも自信を持った私でいたいから。

強い自分でありたいから。


「胡桃……」

「あーちゃ……」


群衆から離れて、人がいないところまで来たところで、ふわっとあーちゃんが抱きしめてくれた。


「味方だから。あたしは、何があっても胡桃と桃華の味方。ずっと」

「ありがとう、あーちゃん……」


それから家まで送ってくれたあーちゃん。

手を振って見送って、家についた瞬間。


「っ……ぅ、はる、か……っ」


我慢していたものが、ずっと張りつめていたものが、プッツンと切れたように、タガが外れたように。

まだ靴も脱いでいない玄関で、泣いてしまった。
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