もう、キスだけじゃ足んない。
***


「これ、着替えとか。
とりあえず適当に持ってきてみた」

「うん、ありがとう」


それから無事ホテルに着いて、部屋へとやってきた私たち。


「本当にいいんですか?私、もっと安いところでも……」


1泊何十万もするんじゃないかってホテル。

キングサイズのベッドに、6人がけくらいの大きなソファー。

床も窓もあちこちがピカピカで、エントランスから入ってくる時も、めちゃくちゃ緊張してしまった。


「いいのよ。ここの支配人、私の兄がやっていてね?セキュリティもしっかりしてるし、料金も安く見積もってくれるって言うから。何より胡桃ちゃんの大ファンらしくね?」

「えっ、あ、そうなんですか……?」

「そうなの。Mateで胡桃ちゃんの大ファンになっちゃったらしくて、進んで協力したいって。だから、気にしないで」

「ありがとう、ございます……」


「桃華とあたしは隣の号室にいるから、何かあったら、いつでも呼んでね」

「はい……何から何までありがとうございます……」

「いいのよ。桃華のことは娘みたいに思ってるし、胡桃ちゃんのことも」

「はい……」

「つらいと思うけど、ふたりのこと信じよう。
あたしも何か力になれることがあったら、なんでも協力するから」

「ありがとうございます……」

「胡桃」

「桃華?」


マネージャーさんと話している間、ずっと黙っていた桃華がやわらかい笑みを浮かべていた。


「さっき、あの子に言い返してくれて嬉しかった。ふだん胡桃が怒ることなんてめったにないから、ちょっと怖かったよ」

「うっ……」

「じゃあ、また」

「うん」


バタンと閉まったドア。

桃華は、これからまたモデルのお仕事に戻るらしい。

ライブの日はさすがにお休みらしいけど……。

本当に大変だ。こんなときだけど、一切休まず、プロとして胸を張って立っている。

言い返すことしかできなかった私よりも、よっぽどかっこいいよ、桃華。


『あんたなんか!あんたさえいなければ!』

「っ……」


ドクンドクンドクン。

一人になった瞬間。


またあのきつい言葉を思い出しそうになって、慌てて振り払うように頭を振る。

違うことを考えよう。


桃華の持ってきてくれた着替えとか整理しよう……何か足りないものとかあるかもしれないし。

そう思ってカバンを開けて、一番に出てきたもの。


「あ……」


これ……。
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