もう、キスだけじゃ足んない。
「ご存知の通り、僕は一般の方とお付き合いしています」
「ぎゃーーー!」
ますます騒がしくなる会場の中だけど、俺はマイクに向かって話し続ける。
「僕が芸能界に入った理由は、距離があった彼女を振り向かせるためで、今の僕があるのは彼女がいてくれるからです。僕のすべてが彼女でできていると言っても過言ではありません」
これから先も、当たり前のように隣にいると思っていた。
これから先も、ずっと隣で笑っていてほしいって。
けれど。
距離が空いて話さなくなって、目も合わなくなって。
空っぽになってしまった。
生きる意味がなくなってしまった。
大げさだと思われるかもしれない。
だけど、俺の中での胡桃はそれくらい大きい存在で。
────胡桃はずっと、俺のすべてだった。
「そして芸能界を引退する理由は、今の僕を作ってくれた、支えになってくれた彼女との時間がなくなり、僕自身が耐えられないからです」
目を閉じても聞こえる。
彼女の泣いている声が。
寂しい。
会いたい。
離れたくない。
一緒にいたい。
ふだんはほとんど弱い部分を見せない。
甘えようとしない彼女が泣いて、泣いて、泣いて。
我慢して。
やっとまた隣にいられるようになったのに。
今度は彼氏として隣にいられるようになったのに。
夢みたいに幸せな日々が、ふたりの時間がなくなっていく。
自分の名声を捨てることよりも。
積み上げてきたものを手放すよりも。
大好きな彼女が泣いている姿を遠くから見ていることの方が、比べものにならないほど苦しくて。
─────もう、限界だった。
そして俺の言葉が終わったあと、杏もまっすぐ前を向いて話し始めた。
『杏の場合も、結構前から考えてたんじゃないか?』
いつかの清見が杏に言ったことを思い出す。
「ご存知の通り、僕は同じく芸能界で活躍している幼なじみとお付き合いしています」
ぎゃあああーーーーッ!!
俺以上に、ざわめく会場内。
けど変わらず杏は続けた。
「芸能界を引退する理由は、遥……弟とは少し違います。僕は芸能界にいながらも、いつも笑って僕を支えてくれる彼女を、今度は僕が支えたいと思ったからです。一人でなんでも抱え込もうとする彼女を応援したい。それが、今の僕の一番の願いです」
いやあああああ!
変わらず悲鳴をあげる人には警備員さんが強制退出するように、出口へ促しているのが見えた。