英雄騎士様は呪われています。そして、記憶喪失中らしいです。溺愛の理由?記憶がないから誰にもわかりません。

勘違いを加速させないでください

もう日も暮れ、今夜のノクサス様の手当ての準備をしていた。
お顔を拭く綺麗で柔らかいタオルなどを準備して、いつも通りに部屋において置くのだ。
それを持って部屋に行こうと、階下から上がって歩いていると、玄関ホールが騒がしい。
アーベルさんの声も怒っているように聞こえる。

「……ですから、勝手をされては困ります! ここはノクサス様のお邸です! いくらランドン公爵令嬢様と言われても、無礼がすぎますよ!」
「うるさいわね! あなたなんか首にしてもいいのよ!」
「あなた様にはその権限はありません!」

いつも静かなアーベルさんが怒っているのは、初めて見た。
すごく困っているようにも見える。
しかも、やって来ているお客様は、ノクサス様のお相手のアリス・ランドン公爵令嬢様だ。
アーベルさんは執事で、貴族じゃないから、いくらお邸を任されていても、あまり貴族に言い返すのは問題になって困るだろう。
ここは、階級社会だから身分の上のものに無礼をすると、不敬罪に問われるかもしれない。
そんなことをノクサス様が、許すとは思えないけれど……。

お父様が亡くなって、まだ一ヶ月ぐらいだからまだ貴族名鑑に私の名前はあるはずだ。
大体、この国では身内が亡くなれば、半年ぐらいはそのままだ。
急な他界があっても、令嬢は爵位を継げないから、行き先をその間に決めることが多い。
そのために、半年ぐらいは貴族のままにしているのだ。
貴族名鑑から除外されれば、きっと良い縁談が来なくなるからだろう。
私の身分ももう怪しいけれど、まだ貴族名鑑に名前はあるはずだから、伯爵令嬢の私が仕方なく間に入ることにした。

「アーベルさん。どうされました?」
「ダリア様。こちらのランドン公爵令嬢様が今日から、邸に滞在すると申されまして……」
「滞在ですか……?」

それは、不味いのでは?
普通なら大歓迎かもしれないけれど、ノクサス様は、今は記憶喪失中で呪われているんですよ?
そうそう他人に知られるわけにはいかないのでは……?
そう思い、コッソリとアーベルさんの耳元で囁くように話した。

「アーベルさん。不味いですよ。記憶喪失中のことなど、ランドン公爵令嬢様はご存知ないのでは? 一緒に住むと隠しにくいですよ」
「当然です。ですから、お帰り願っているのです。ですがしつこくて……」

使用人と違い、婚約者様なら接することも多いはずだ。
一緒に住むと絶対にバレると思う。

「申し訳ありませんが、ノクサス様がまだお帰りではありませんので、一度お引き取りをお願い致します」

そう言って、彼女に頭を下げた。

「だから何? あなたはここに住んでいるのでしょう? 婚約者が女と住んでいるなんて許せるものではないわよ」
「私は仕事ですから……お世話係なのです」
「お 世 話――!? あなたは一体なにを考えているの!?」
「仕事ですかね。仕事をしないとお金がもらえませんから……サボりたくないのです」
「サボりなさい! サボればいいのです!! それに、あなたは未婚ではないの!? 未婚者が殿方に召し上げられてどうするのです!?」

いきなり大声を出して、怒りながらサボれと言われても……。
そんなことを言われたのは始めてですよ。
しかも、召し上げられて……って。
お世話の意味が違うと思うのですけれど。
勘違いを解こうとすると、アーベルさんが「ダリア様はいいのです!」と止めた。
余計なことを言うなと思う。

「よくありません!! 婚約者が結婚前から女を囲うなんて嫌に決まっているでしょう!」
「あの、そういうことではなくてですね……」
「ダリア様はノクサス様に必要な方です!! 毎晩のお世話をやめてもらうわけにはいきません!!」
「何ですってーー!!」
「……アーベルさん、少し静かにしてもらえますか? しかも、毎晩だけではなくて朝からしてますから……」
「朝からベッドにーー!?」
「ベッドに、なんか言ってませんよ」

冷静沈着な方と思っていたアーベルさんに、話が進みそうにないからそう言った。
アーベルさんがこんな方だったとは……ちょっと困ってしまう。
そして、毎晩だと、閨のように聞こえるかと思い、朝もきちんとお世話をしていると伝えるが、ランドン公爵令嬢様の勘違いはますます加速してしまった。

玄関ホールで騒がしくしていると、「何事だ?」と怪訝な顔をしてノクサス様が帰って来た。

「ノクサス! どういうことです!?」
「アリス嬢? 何故ここに? いや、それより少しお待ちください」
「なんですの?」

興奮気味に詰め寄るランドン公爵令嬢様に、そう言ったノクサス様はくるりと私の方に向いた。
彼女に、お待ちください、と言ってまで私になにか用事があるのだろうか、と不思議な気持ちだった。

「ダリア」
「はい」
「今、帰った。ただいま」
「……おかえりなさいませ」

おかえりなさいませ、と言ったら、嬉しそうな顔を見せる。
いつもと同じだった。

「あの……なにか用事は?」
「用事? 今夜も一緒にいたいが、まずはせっかく出迎えてくれたのだから、ただいま、と言いたい。本当に今日も可愛い」
「今日も……って、朝も会いましたよ……」

まさかの、ただいま、と言いたいだけで、ランドン公爵令嬢様を待たすとは、なにを考えているのかわからない。

「ノクサス! 私に言うべきでしょう!!」
「何故?」

興奮気味のランドン公爵令嬢様に、「ただいま」というのは少しおかしい気がする。
なぜなら、ここに住んでないから!

「しかも、今夜も――――!?」
「あなたは何をしに来たのですか? お約束はしてなかったはずですよ?」
「今日からここに住みます! 私の部屋に案内して頂戴!」
「あるわけないでしょう。いきなり来られると困りますよ」

呆れたようにノクサス様はそう言った。

「お父様からの手紙も預かっています! ここに滞在することは認められています!」
「ここは俺の邸ですよ」

ノクサス様は、渡された手紙を読んでため息をついた。

「ただの外泊許可証なのですけれど……とにかく、もう晩餐の時間ですから……ダリアは、着替えておいで」
「婚約者様が来られているので、私はご遠慮しますよ」
「駄目だ。ドレスに着替えてくれ。ダリアのドレス姿が見たい」

そう言って、なかば無理やりに私は部屋に帰された。

玄関ホールからは、ランドン公爵令嬢様の興奮した声がまだ響いていた。



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