英雄騎士様は呪われています。そして、記憶喪失中らしいです。溺愛の理由?記憶がないから誰にもわかりません。
過去の秘密は言えない
一年前______。
私とお父様は従軍していた。
私はユージェル村に、白魔法使いとしての回復要員だった。
お父様はユージェル村の隣村に、負傷者の記録や前線から送られてくる書類の確認や清書などのために書記官として。
私たちが従軍していたのは、お金のためだった。
戦争の一時的な税金すら払えない私たち親子には、少しでもお金が欲しかったのだ。
それに、従軍していれば、戦争が終われば慰安金も出る。
村や王都にいても、私たちに貴族の暮らしは出来ないのだから、国のためにと志願したのも間違いなかった。
白魔法使いとして、役に立たなければ……と思っていた。
それでも、伯爵家である私たちが前線に送られることはなかった。
ユージェル村は、戦場からの負傷者が下がってくるが、重傷者から回復に当たっていた。
戦場では、満足に治療出来なかった者や、負傷した貴族たちが戦場から離れてこのような負傷者を受け入れている村に下がって来るのだ。そのまま、回復後に戦場に戻る者もいれば、このまま戦場から離れる者もいた。酷いトラウマにストレスでもう戦場に戻れないのだ。
震え怯える者もいれば、攻撃的になる者もいた。
ある日、多くの重傷者たちが、送られて来ることがあった。
前線で、何かあったらしい。まだ、この村には、知らされてなかったけど戦いが激しいものだと思った。
そして、いつも通り重傷者から回復魔法をかけていたが、それを気に食わない貴族の令息たちがいた。
「貴族なのに……俺たちを先にしろ!」と喚いていたらしい。
ガラの悪い令息たちだった。戦場から来たという事は、嫡男ではない。
いずれは、爵位のないただの貴族なのに……上司の白魔法使いは、「軽症者はあとだ!」と取り合わなかった。
その鬱憤が溜まっていったのだろう。
その鬱憤は、たまたまいた私に向けられた。
私が重傷者の回復に当たっていたからかもしれない。
月も出てない真っ暗な夜になり、汚れたガーゼを洗うために一人外の洗い場に行った時にそれは起こったのだ。
洗い場は、流し場のある納屋を借りており、そこにガーゼなど医療道具に魔法薬などの倉庫替わりにしていた。
一人そこでカンテラを手元に置き洗っていると、そこに、見知らぬ男たちが、やって来のだ。
「キャァァーー!?」
いきなり目をめがけてか、顔に何かの魔法薬をかけられた。
催涙薬か……他にもなにか混ぜていたのだろう。目に激痛が走り、もう瞼を開けられなかった。
とっさに持っていたガーゼやカンテラを投げたが当たらなかったのだろう。ただ、地面で割れる音がしただけだ。
男たちは何人もいたのか、「抑えろ!」と誰かが指示を出し、目を抑えうずくまる私の両腕を抑えられてしまった。必死で抵抗した。
魔法弾を放っても、相手が見えないのだから当たることもなかった。
それでも、誰かに聞こえないかと必死で叫んだ。最後の抵抗だったのかもしれない。
「痛い!! 離して!! 誰か! 誰かーーーー!!」
怖かった。激痛は走り目も見えず、男たちに乱暴に立たされて抑えられる。
そして、背中を斬られた。
「キャァァーー!!」
「白魔法使いなら、自分で治してみろ!! 俺たちを後回しにして放置しやがって!!」
「俺たちの痛みを思いしれ!!」
斬られてそのまま、放り投げるように地面に投げ出された。
こんなに元気な重傷者はいなかった。軽症者の令息たちで間違いなかった。
軽症者は後回しにされた明らかな逆恨みだった。おそらく、戦場が怖くなり、負傷を理由に戦場から離れたのだろう。
自分勝手すぎる。もう戦場に戻れない者もいるのに、貴族だからと先にしろ、なんて……。
それと同時に、これ以上なにをされるか分からずに恐ろしかった。
このままここで、殺されるかもしれない。もし、暴行なんてされたら……。
身体中は震え、怯えている。呼吸も上手く出来ない。
その時に、物凄い音がした。
まるで、納屋が破壊されるような音だ。
「なにをしている!?」
男たちを怒鳴りつける声がしたと思ったら、男たちの叫び声がした。
小さな納屋は血の匂いでいっぱいになりそうだった。
剣と剣の交わる音もした。叫び声が木霊するように遠のいていく。
あの男たちは逃げたのだろうか。
「大丈夫か!? なんて、ひどいことを……っ!!」
「……っ! はっ……はぁ……ふっ……うぅ……!」
誰かに、支えられて起こされた。
支えられた手が、背中の斬られた痕にヌメリと血がついただろう。そして、背中が痛くて堪らなかった。
必死で呼吸をした。
冷静になろうと必死だった。戦場で付いた傷じゃない。ただのひどい嫌がらせだった。
「……血の、血の匂いが……すぐに回復を……っ」
本当は誰の血の匂いか、もうわからなかった。
自分を見失わないように、いつも通りのことをしようと必死だったのかもしれない。
それくらい、何が起こったのか分からなくなっていた。
見えない目で、支えられた手の持ち主にしがみついた。そして、どこを怪我したのかわからないから、身体全体に回復魔法を発動させた。その間もみっともなくずっと泣いていた。
「やめるんだ。俺の血じゃない。怪我をしているのは君だ……」
「でも……うぅっ……っ……!」
「大丈夫だ。もう大丈夫だ。ここにはもう君を傷つける者はいない。誰にも触れさせないから安心しなさい」
優しかった。私を労わるように言ってくれて、それでいて大事なものを奪われないようにか、力いっぱい抱きしめられた。
どんな声なのか……耳にも魔法薬がかかっていたせいか、声がくぐもって聞こえた。
でも、私は、この人に救われた。怯えている私には、この言葉が印象に残るほど、呼吸が落ち着くのを感じた。
「すぐに人を呼んで来る。ここで待っていろ」
「い、いや……行かないでください。また、あの人たちが来たら……」
「……大丈夫だ。一人にはしない。マントを敷くから、寝られるか? すぐに止血をしよう」
その人の敷いたマントにうつ伏せになると、彼は張り上げるような大きな声で「誰か来てくれて!!」と人を呼んだ。
私が行かないで、と言ったから本当に同じ隊の白魔法使いたちが来るまで側にいてくれた。
人が来るその間も、納屋にあったガーゼで、慣れた様子で傷口を圧迫止血してくれた。
うっすらとした意識の中で不意に血の匂いが近づいたと思うと、ゴツゴツした手で頬を撫でられていた。
その手に安堵したのか、多量出血のせいか、私はそのまま意識が途切れてしまった。
次に目が覚めたのは、翌日の夜だった。
丸一日眠っていたのだ。
まだ、眼も痛い。瞼を開いても、ほぼ見えなかった。目には、包帯も巻かれており、軽い圧迫感があった。
私は、うつ伏せのままで眠っていたようで、そこは柔らかいベッドの上だった。
「目が覚めたか? どうだ気分は? 私がわかるか?」
みえないけど、この声は私が従軍している隊の隊長だ。
「マリス隊長……?」
「ひどい目にあったな……止血程度には、回復魔法をかけたがかなりの出血だった。しばらくは起きないほうが良い。背中の傷もだが、目を先に治さないと失明してしまうから、背中の傷は後回しですまない……」
「見えるようになりますか?」
「魔法薬のせいで治りが悪いだけで、いずれ治るだろう」
中年男性のマリス隊長はこの村を任された白魔法使いだ。
まさか、重傷者の回復に当たっている間に隊の白魔法使いがこんなことになるなんて予想外だっただろう。
私は、あんなことがあったから、隊や負傷者の好奇の目にさらされないように、村長の家の一室を借りて、そこで一晩中寝ていたらしい。それも、私を助けてくれたあの方の計らいだった。マリス隊長にあの方のことを聞こうとしたところで、廊下が響く音がした。
乱暴な音と共にドアが開き、聞こえた声はお父様だった。
「……っダリア!! どうしてこんなことに……っ」
「お父様……? どうしてここに……?」
「お前が怪我をしたと聞いて……」
「理由も……?」
「……伝えに来た男性が教えてくれた」
私を助けてくれた男性が、前線に帰る途中にお父様のいる村に寄り、私のことを知らせてくれたらしい。
助けてくれた男性が、お父様のもとに使者をかって出てくれたのは、私のことをあまり人に知られないようにするためだった。
どこまで私を思いやってくれたのか……。その優しさに触れただけで、救われた気持ちだった。
「すぐに帰ろう……ここには置いておけない。大事な娘なんだ。こんな目に合わされるなんて……!」
怒りをこらえているお父様は、初めてだった。顔は見えないけど、その声には、怒りを押し込めているのだ。
「……すぐに馬車を出そう。じきにここにはもっと重傷者たちがやって来る。王都にいる知り合いの白魔法使いに手紙を書くから、そこでゆっくり回復した方がいいかもしれない」
「……白魔法使いには、心当たりがあります。とにかく早く帰らせてもらおう」
マリス隊長の提案をお父様は断った。心当たりは、きっと師匠のことだ。
師匠なら、この眼も治せるだろう。
それに、重傷者たちが来るとわかっているという事は、やはり前線でなにかあったのだ。
「前線は厳しいのですか?」
「……騎士団長が戦死した。すでに遺体は王都に運ばれている途中だ。それを知った敵軍が押しているらしい」
そんなところに、私を助けてくれた人は帰ったのか……そう思うと、不安に襲われる。
もう、会えないかもしれない。お会いしても私には姿すらわからない。
くぐもった声しかわからないから、本当の声さえわからない……。
ただ、無事でいて欲しい……と願った。
そんな思いの中で多量出血をしたせいか、意識もまただんだんとボーっとしていた。
その私の蒼白の顔を見て、お父様は「一刻も早く帰ろう」と強い口調で言った。
マリス隊長は、私を含めた隊の者たちが乗って来た大きな馬車を準備してくれた。
これなら、寝たまま帰られるからと、私を気遣ってくれたのがわかった。
助けてくれた男性は、私の治療費にと、持っていたお金まで置いて行きマリス隊長はそれを渡してくれた。
村長の奥様は、怪我の理由はわからないらしいけど、若い私が重傷をおっていることに心を痛めてくれたのか、馬車の中で食べられるように……と、軽食も持たせてくれた。
あんなことがあり、いつもよりいっそう人の優しさが心に染みた。目尻に涙が浮かんだ。
そして、痛みと不安にかられるまま、マリス隊長に用意された馬車に運ばれて、私とお父様は、ユージェル村をあとした。
私とお父様は、何日も馬車に揺られてやっと自分の屋敷にある村まで帰って来た。
体力は回復してなかったが、失明するわけにはいかないと思い、時折回復魔法を自分でかけながら戻ったのだ。
そのせいで、ほとんど馬車の中では眠っていることが多かった。
時折、うつつで聞こえた声は、お父様の苦しそうな「許せない」という言葉だった。
私が起きている時は、そんなことを言わなかった。だから、心配させまいと、ただ労わるだけだった。
そして、やっと屋敷に着くと、私たちを乗せた馬車は、すぐに折り返してユージェル村に帰った。
私は、そのまま屋敷で眠ってしまい目が覚めた時には、部屋に師匠がいた。
どうやってあの森に入ったのか……お父様が師匠を連れて来たらしい。
目が覚めた私にミストは、ぺろぺろと心配そうに私の顔をなめている。
「ダリア、大丈夫か? 眼はすぐに治る。背中の傷は痕が残りそうだが……文でも出せばすぐに行ってやったのに」
「お金をいっぱい取るじゃないですか……」
「弟子割引ぐらいはしてやるぞ。私をすぐに呼べば、傷痕も残らずに治してやったのに……」
「いいんですよ。もう……あんなことがあって、結婚したいともなんとも思えません」
正直、貴族に絶望した。あんなことする貴族ばかりではないが、自分勝手な貴族に虫唾が走っていた。
この傷痕のせいで結婚できようが、出来まいがもうどうでもいい気分だった。
ただ、お父様には申し訳ない。娘がこんなことになったと知られれば、きっと噂の的になるのはわかっている。
こんな没落貴族が噂になっては、お父様がなんと言われるか……。
でもお父様は違った。自分のことよりも私のことを考えていた。
私が噂の的にならないように、隠そうとした。
そして、ある日あの男たちが、私を探していることをお父様は偶然にも知ってしまった。
騎士団の記録庫にたまたま行った時に、ユージェル村の白魔法使いたちの従軍資料を探している貴族がいた、と言い出したのだ。その時は、とっさに隠したらしい。でも、持ち出す事は出来ない。
それに、私は、途中で隊を抜けたことになるから、記録を見ればすぐにわかるだろう。
すぐに、記録を消そうと思ったが、記録消しがわかればますますバレてしまう、と不安だった。
「セフィーロ殿にもう一度頼もう。彼なら、上手く消してくれる」
「また、お金がかかりますよ。私なら大丈夫です……」
お父様はそう言って、師匠にまた助けを求める事にした。
本当は不安だった。私の名前がバレれば、ルヴェル伯爵令嬢だとわかってしまう。
そうすれば、いくら没落貴族とはいえ、この屋敷まですぐにバレるだろう。
お父様まで、社交界の笑い者だ。仕事にも支障がでるかもしれない。
そもそも、何故私を探すのか……。
「……金よりも娘のほうが大事だ。マレット伯爵は、金の流れも追求するやつではない。彼に金を借りて、ダリアの痕跡を消そう」
「マレット伯爵は変わったお方ですよ……」
「それでも、すぐに貸してくれるのは、マレット伯爵だけだ」
お父様は、そう言って師匠に相談した。
最近は、ずっと師匠と密かにを話している。
そのころには、もう眼も治っており、背中の傷も引きつるぐらいで、普段の生活は出来ていた。ただ、体力が完全に戻ってなかっただけで……。
それでも、師匠に診てもらったのは間違いなかった。こんなに短期間で治してくれたのだから。
そして、私たちは騎士団の記録庫に忍び込んであの記録に魔法をかけたのだ。
私とお父様は従軍していた。
私はユージェル村に、白魔法使いとしての回復要員だった。
お父様はユージェル村の隣村に、負傷者の記録や前線から送られてくる書類の確認や清書などのために書記官として。
私たちが従軍していたのは、お金のためだった。
戦争の一時的な税金すら払えない私たち親子には、少しでもお金が欲しかったのだ。
それに、従軍していれば、戦争が終われば慰安金も出る。
村や王都にいても、私たちに貴族の暮らしは出来ないのだから、国のためにと志願したのも間違いなかった。
白魔法使いとして、役に立たなければ……と思っていた。
それでも、伯爵家である私たちが前線に送られることはなかった。
ユージェル村は、戦場からの負傷者が下がってくるが、重傷者から回復に当たっていた。
戦場では、満足に治療出来なかった者や、負傷した貴族たちが戦場から離れてこのような負傷者を受け入れている村に下がって来るのだ。そのまま、回復後に戦場に戻る者もいれば、このまま戦場から離れる者もいた。酷いトラウマにストレスでもう戦場に戻れないのだ。
震え怯える者もいれば、攻撃的になる者もいた。
ある日、多くの重傷者たちが、送られて来ることがあった。
前線で、何かあったらしい。まだ、この村には、知らされてなかったけど戦いが激しいものだと思った。
そして、いつも通り重傷者から回復魔法をかけていたが、それを気に食わない貴族の令息たちがいた。
「貴族なのに……俺たちを先にしろ!」と喚いていたらしい。
ガラの悪い令息たちだった。戦場から来たという事は、嫡男ではない。
いずれは、爵位のないただの貴族なのに……上司の白魔法使いは、「軽症者はあとだ!」と取り合わなかった。
その鬱憤が溜まっていったのだろう。
その鬱憤は、たまたまいた私に向けられた。
私が重傷者の回復に当たっていたからかもしれない。
月も出てない真っ暗な夜になり、汚れたガーゼを洗うために一人外の洗い場に行った時にそれは起こったのだ。
洗い場は、流し場のある納屋を借りており、そこにガーゼなど医療道具に魔法薬などの倉庫替わりにしていた。
一人そこでカンテラを手元に置き洗っていると、そこに、見知らぬ男たちが、やって来のだ。
「キャァァーー!?」
いきなり目をめがけてか、顔に何かの魔法薬をかけられた。
催涙薬か……他にもなにか混ぜていたのだろう。目に激痛が走り、もう瞼を開けられなかった。
とっさに持っていたガーゼやカンテラを投げたが当たらなかったのだろう。ただ、地面で割れる音がしただけだ。
男たちは何人もいたのか、「抑えろ!」と誰かが指示を出し、目を抑えうずくまる私の両腕を抑えられてしまった。必死で抵抗した。
魔法弾を放っても、相手が見えないのだから当たることもなかった。
それでも、誰かに聞こえないかと必死で叫んだ。最後の抵抗だったのかもしれない。
「痛い!! 離して!! 誰か! 誰かーーーー!!」
怖かった。激痛は走り目も見えず、男たちに乱暴に立たされて抑えられる。
そして、背中を斬られた。
「キャァァーー!!」
「白魔法使いなら、自分で治してみろ!! 俺たちを後回しにして放置しやがって!!」
「俺たちの痛みを思いしれ!!」
斬られてそのまま、放り投げるように地面に投げ出された。
こんなに元気な重傷者はいなかった。軽症者の令息たちで間違いなかった。
軽症者は後回しにされた明らかな逆恨みだった。おそらく、戦場が怖くなり、負傷を理由に戦場から離れたのだろう。
自分勝手すぎる。もう戦場に戻れない者もいるのに、貴族だからと先にしろ、なんて……。
それと同時に、これ以上なにをされるか分からずに恐ろしかった。
このままここで、殺されるかもしれない。もし、暴行なんてされたら……。
身体中は震え、怯えている。呼吸も上手く出来ない。
その時に、物凄い音がした。
まるで、納屋が破壊されるような音だ。
「なにをしている!?」
男たちを怒鳴りつける声がしたと思ったら、男たちの叫び声がした。
小さな納屋は血の匂いでいっぱいになりそうだった。
剣と剣の交わる音もした。叫び声が木霊するように遠のいていく。
あの男たちは逃げたのだろうか。
「大丈夫か!? なんて、ひどいことを……っ!!」
「……っ! はっ……はぁ……ふっ……うぅ……!」
誰かに、支えられて起こされた。
支えられた手が、背中の斬られた痕にヌメリと血がついただろう。そして、背中が痛くて堪らなかった。
必死で呼吸をした。
冷静になろうと必死だった。戦場で付いた傷じゃない。ただのひどい嫌がらせだった。
「……血の、血の匂いが……すぐに回復を……っ」
本当は誰の血の匂いか、もうわからなかった。
自分を見失わないように、いつも通りのことをしようと必死だったのかもしれない。
それくらい、何が起こったのか分からなくなっていた。
見えない目で、支えられた手の持ち主にしがみついた。そして、どこを怪我したのかわからないから、身体全体に回復魔法を発動させた。その間もみっともなくずっと泣いていた。
「やめるんだ。俺の血じゃない。怪我をしているのは君だ……」
「でも……うぅっ……っ……!」
「大丈夫だ。もう大丈夫だ。ここにはもう君を傷つける者はいない。誰にも触れさせないから安心しなさい」
優しかった。私を労わるように言ってくれて、それでいて大事なものを奪われないようにか、力いっぱい抱きしめられた。
どんな声なのか……耳にも魔法薬がかかっていたせいか、声がくぐもって聞こえた。
でも、私は、この人に救われた。怯えている私には、この言葉が印象に残るほど、呼吸が落ち着くのを感じた。
「すぐに人を呼んで来る。ここで待っていろ」
「い、いや……行かないでください。また、あの人たちが来たら……」
「……大丈夫だ。一人にはしない。マントを敷くから、寝られるか? すぐに止血をしよう」
その人の敷いたマントにうつ伏せになると、彼は張り上げるような大きな声で「誰か来てくれて!!」と人を呼んだ。
私が行かないで、と言ったから本当に同じ隊の白魔法使いたちが来るまで側にいてくれた。
人が来るその間も、納屋にあったガーゼで、慣れた様子で傷口を圧迫止血してくれた。
うっすらとした意識の中で不意に血の匂いが近づいたと思うと、ゴツゴツした手で頬を撫でられていた。
その手に安堵したのか、多量出血のせいか、私はそのまま意識が途切れてしまった。
次に目が覚めたのは、翌日の夜だった。
丸一日眠っていたのだ。
まだ、眼も痛い。瞼を開いても、ほぼ見えなかった。目には、包帯も巻かれており、軽い圧迫感があった。
私は、うつ伏せのままで眠っていたようで、そこは柔らかいベッドの上だった。
「目が覚めたか? どうだ気分は? 私がわかるか?」
みえないけど、この声は私が従軍している隊の隊長だ。
「マリス隊長……?」
「ひどい目にあったな……止血程度には、回復魔法をかけたがかなりの出血だった。しばらくは起きないほうが良い。背中の傷もだが、目を先に治さないと失明してしまうから、背中の傷は後回しですまない……」
「見えるようになりますか?」
「魔法薬のせいで治りが悪いだけで、いずれ治るだろう」
中年男性のマリス隊長はこの村を任された白魔法使いだ。
まさか、重傷者の回復に当たっている間に隊の白魔法使いがこんなことになるなんて予想外だっただろう。
私は、あんなことがあったから、隊や負傷者の好奇の目にさらされないように、村長の家の一室を借りて、そこで一晩中寝ていたらしい。それも、私を助けてくれたあの方の計らいだった。マリス隊長にあの方のことを聞こうとしたところで、廊下が響く音がした。
乱暴な音と共にドアが開き、聞こえた声はお父様だった。
「……っダリア!! どうしてこんなことに……っ」
「お父様……? どうしてここに……?」
「お前が怪我をしたと聞いて……」
「理由も……?」
「……伝えに来た男性が教えてくれた」
私を助けてくれた男性が、前線に帰る途中にお父様のいる村に寄り、私のことを知らせてくれたらしい。
助けてくれた男性が、お父様のもとに使者をかって出てくれたのは、私のことをあまり人に知られないようにするためだった。
どこまで私を思いやってくれたのか……。その優しさに触れただけで、救われた気持ちだった。
「すぐに帰ろう……ここには置いておけない。大事な娘なんだ。こんな目に合わされるなんて……!」
怒りをこらえているお父様は、初めてだった。顔は見えないけど、その声には、怒りを押し込めているのだ。
「……すぐに馬車を出そう。じきにここにはもっと重傷者たちがやって来る。王都にいる知り合いの白魔法使いに手紙を書くから、そこでゆっくり回復した方がいいかもしれない」
「……白魔法使いには、心当たりがあります。とにかく早く帰らせてもらおう」
マリス隊長の提案をお父様は断った。心当たりは、きっと師匠のことだ。
師匠なら、この眼も治せるだろう。
それに、重傷者たちが来るとわかっているという事は、やはり前線でなにかあったのだ。
「前線は厳しいのですか?」
「……騎士団長が戦死した。すでに遺体は王都に運ばれている途中だ。それを知った敵軍が押しているらしい」
そんなところに、私を助けてくれた人は帰ったのか……そう思うと、不安に襲われる。
もう、会えないかもしれない。お会いしても私には姿すらわからない。
くぐもった声しかわからないから、本当の声さえわからない……。
ただ、無事でいて欲しい……と願った。
そんな思いの中で多量出血をしたせいか、意識もまただんだんとボーっとしていた。
その私の蒼白の顔を見て、お父様は「一刻も早く帰ろう」と強い口調で言った。
マリス隊長は、私を含めた隊の者たちが乗って来た大きな馬車を準備してくれた。
これなら、寝たまま帰られるからと、私を気遣ってくれたのがわかった。
助けてくれた男性は、私の治療費にと、持っていたお金まで置いて行きマリス隊長はそれを渡してくれた。
村長の奥様は、怪我の理由はわからないらしいけど、若い私が重傷をおっていることに心を痛めてくれたのか、馬車の中で食べられるように……と、軽食も持たせてくれた。
あんなことがあり、いつもよりいっそう人の優しさが心に染みた。目尻に涙が浮かんだ。
そして、痛みと不安にかられるまま、マリス隊長に用意された馬車に運ばれて、私とお父様は、ユージェル村をあとした。
私とお父様は、何日も馬車に揺られてやっと自分の屋敷にある村まで帰って来た。
体力は回復してなかったが、失明するわけにはいかないと思い、時折回復魔法を自分でかけながら戻ったのだ。
そのせいで、ほとんど馬車の中では眠っていることが多かった。
時折、うつつで聞こえた声は、お父様の苦しそうな「許せない」という言葉だった。
私が起きている時は、そんなことを言わなかった。だから、心配させまいと、ただ労わるだけだった。
そして、やっと屋敷に着くと、私たちを乗せた馬車は、すぐに折り返してユージェル村に帰った。
私は、そのまま屋敷で眠ってしまい目が覚めた時には、部屋に師匠がいた。
どうやってあの森に入ったのか……お父様が師匠を連れて来たらしい。
目が覚めた私にミストは、ぺろぺろと心配そうに私の顔をなめている。
「ダリア、大丈夫か? 眼はすぐに治る。背中の傷は痕が残りそうだが……文でも出せばすぐに行ってやったのに」
「お金をいっぱい取るじゃないですか……」
「弟子割引ぐらいはしてやるぞ。私をすぐに呼べば、傷痕も残らずに治してやったのに……」
「いいんですよ。もう……あんなことがあって、結婚したいともなんとも思えません」
正直、貴族に絶望した。あんなことする貴族ばかりではないが、自分勝手な貴族に虫唾が走っていた。
この傷痕のせいで結婚できようが、出来まいがもうどうでもいい気分だった。
ただ、お父様には申し訳ない。娘がこんなことになったと知られれば、きっと噂の的になるのはわかっている。
こんな没落貴族が噂になっては、お父様がなんと言われるか……。
でもお父様は違った。自分のことよりも私のことを考えていた。
私が噂の的にならないように、隠そうとした。
そして、ある日あの男たちが、私を探していることをお父様は偶然にも知ってしまった。
騎士団の記録庫にたまたま行った時に、ユージェル村の白魔法使いたちの従軍資料を探している貴族がいた、と言い出したのだ。その時は、とっさに隠したらしい。でも、持ち出す事は出来ない。
それに、私は、途中で隊を抜けたことになるから、記録を見ればすぐにわかるだろう。
すぐに、記録を消そうと思ったが、記録消しがわかればますますバレてしまう、と不安だった。
「セフィーロ殿にもう一度頼もう。彼なら、上手く消してくれる」
「また、お金がかかりますよ。私なら大丈夫です……」
お父様はそう言って、師匠にまた助けを求める事にした。
本当は不安だった。私の名前がバレれば、ルヴェル伯爵令嬢だとわかってしまう。
そうすれば、いくら没落貴族とはいえ、この屋敷まですぐにバレるだろう。
お父様まで、社交界の笑い者だ。仕事にも支障がでるかもしれない。
そもそも、何故私を探すのか……。
「……金よりも娘のほうが大事だ。マレット伯爵は、金の流れも追求するやつではない。彼に金を借りて、ダリアの痕跡を消そう」
「マレット伯爵は変わったお方ですよ……」
「それでも、すぐに貸してくれるのは、マレット伯爵だけだ」
お父様は、そう言って師匠に相談した。
最近は、ずっと師匠と密かにを話している。
そのころには、もう眼も治っており、背中の傷も引きつるぐらいで、普段の生活は出来ていた。ただ、体力が完全に戻ってなかっただけで……。
それでも、師匠に診てもらったのは間違いなかった。こんなに短期間で治してくれたのだから。
そして、私たちは騎士団の記録庫に忍び込んであの記録に魔法をかけたのだ。