炎暑とバニラ
プロローグ(ヒーロー視点)
炎は嫌いだ。なんでもかんでも焼き尽くす。
ホースの筒先を炎に向けた。
放たれる毎分400リットルもの水は、あっという間に高温の水蒸気となり、面体──空気呼吸器とゴーグルが一体化したもの──の向こうを白く霞ませる。
しかし、すぐに黒煙がそれを覆い尽くし、火の粉の朱金がちらちら舞い飛ぶ。
炎が赤く、禍々しく渦巻く。
酸素を食って大きく育ち、どこまでも続く朱い焔。
明るく暗い、何もかも紛い物のような紅蓮の中、熱さだけが生々しい。
「松原、そっちどうだ!?」
「探索継続中!」
俺は大声で怒鳴り返す。わざとじゃない。そうしないと聞こえないからだ。指令を聞くため、無線を塞ぐことはできない──自然と大声で怒鳴り合うように指示を出し合う。
バディを組んでいる先輩と、そうやって身体を低くして炎と煙と戦いつつ、ただ探す。探し続ける。
俺たちを待っている人を探す。
黒煙の先に、白い手が見えた。
「252発見!」
防火衣に包まれた全身は余すところなく汗だくだ。数千度の炎のなか、ただ目の前の人を助けるためだけに炎に飛び込む。
それが消防士、それも特別救助隊を拝命した俺の仕事だった。
「大丈夫ですか!」
倒れ伏していた女性が僅かにうめき、目を開けた。
意識レベルは20あるか? 30?
しかしすぐに閉じてしまう。舌打ちをこらえる。死ぬな、と強く思う。待ってる誰かがいるんじゃないのか?
こんなところで死ぬな。
俺は彼女を担ぎ、炎の中を歩き出す。
死ぬなよ、と再び思う。
命かけて助けて、死なれるのが一番嫌だ。
組んでいる先輩が、彼女の意識を繋ぎ止めるため、大声で質問をする。
「お名前言えますか!」
背中の彼女が、聞き取れないくらい小さな声で何かを答えた。
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