炎暑とバニラ
「おい松原、お前に客」
消防士の勤務体制は少し変わっている。
当番日、非番日、休暇日の三日サイクル。当番日は二十四時間勤務で、時々事務だけの日勤日が入る。
その日勤日、机で事務作業をしていた俺に、受付──消防設備の手続きなど──をしていた上司から声がかかった。
受付のカウンターの向こうに、女性がひとり、所在なさげに立っていた。
真夏日どころか酷暑、八月の半ばだというのにきっちりと長袖シャツを着込んだ髪の短い女性。年は俺と同じくらいか。つまり、25とか26とか、そこらへん。
そんな彼女の背は女性としては高めで、少し猫背気味。
「?」
カウンターまで行くと、ぽん、と背中を叩かれる。
「去年の冬に、〇〇であったマンション火災、お前出動しただろう。あの時お前が高辻と救助した女性だ。さっき退院して、その足でここまで来て下さったらしい」
上司の説明に、女性がぺこりと頭を下げた。さらりと髪の毛が落ちていく──八ヶ月以上、入院していたのか。
俺は彼女の耳の後ろに火傷の跡を認めて、そっと目を逸らした。
長袖なのも、痕を気にしてのことなのだろう。幸いというか、綺麗な顔にその痕跡はなかったけれど。
カウンターから出た俺を見上げ、彼女はもう一度目礼してくれた。
「あの……ありがとうございました。もう一人の方は異動されたと聞きましたので、後日」
そう言って女性が差し出した菓子折りを、俺は丁重に断る。公務員だからだ。「どうしたらいいんだろう」といった表情で眉を下げる女性に、俺はできるだけ柔和な笑みを浮かべて(よくお前は顔が怖い、とか言われるけれど)口を開いた。
「退院されたんですね。良かったです」
「──」
ばっ、と彼女は俺を見上げて唇を戦慄かせた。
薄い隙間から見える、白い並びの良い歯。
桃色の形の良い唇に思わず目を奪われていると、彼女のその唇から呪いのように言葉がこぼれた。
「死なせてくれたら良かったのに」