炎暑とバニラ
2(ヒーロー視点)
日勤日、なんとか残業を回避して帰宅して早々、しばらく空室だった隣の部屋に、誰か越してきたらしいのに気がついた。
夏の熱気に蒸された室内に辟易しつつエアコンのスイッチを入れ、少し換気しようとベランダの窓を開けて──既視感のある声に眉を上げた。既視感、というよりは既「聴」感なのだろうか──かつて俺が助けた252、さっき会ったばかりの……確か寺町さんか。
聞こえてくる声から推測するに、なんらかのトラブルでエアコンの設置がかなり遅れるようだった。
ベランダに出る。
「まさか、クーラー無しで過ごすつもりじゃねえっすよね?」
俺のいきなりの登場にしばらく驚いていた寺町さんだったが、気を取り直したのか眉を思い切り下げて「どうにかします」とつぶやいた。
「漫画喫茶とか……」
「は? ホテルとか友達の家とか、なんかないんすか。しばらく実家帰るとか」
寺町さんは曖昧に笑った。何か事情があるらしい、と察した俺は「うーん」と悩む。
寺町さんがぺこりと頭を下げたあと「あ」と気がついたように部屋に入っていく。ややあって、インターホンが鳴った。
ドアホンも確認せず扉を開ける。どうせ寺町さんだろうと思ったからだ。
「あの、これ。引越しの挨拶ってことで……」
さっき、署で渡されて断った菓子折りだった。俺は肩をすくめて受け取りながら、さて、と考える。
ホッとしたように笑っている、この女性を10日間も漫喫で過ごさせることについて、だ。
(危ないだろ、普通に)
寺町さんは客観的に見て、綺麗な人だった。火傷の影響か少し動きはぎこちないけれど、女性にしては高い身長と凛とした雰囲気と相まってモデルか何かのような印象さえ受ける。そんな人が10日間も繁華街を昼夜なくうろついていたら?
狙われるのなんか、目に見えていた。
「……ウチ来ます?」
気がついたら、そう口にしていた。
寺町さんがぽかんと俺を見上げている。長い上向きのまつ毛が、何度か瞬かれる。吸い込まれるような綺麗で透明な瞳──心臓が何故だかきゅっとする。
その瞳が困惑に揺れて、俺は舌打ちしたい気分になった。ああ、何を言っているんだか。
けれど零れた言葉は戻せない。軽く眉を上げて扉を大きく開けた。
「少なくとも、エアコンがある。ワンルームだけど、俺は床に寝るし三日にいっぺんは仕事で丸一日いない。10日くらい、好きにいたらいい」
「あの、でも」
「別に何かする気とかも」
言い訳がましく言いかけた俺の視界で、寺町さんが「そうですよね」と俯いた。どこか悲壮な声で。
それに俺は疑問を感じる──間も無く、彼女はぺこりと頭を下げる。
「すみませんが、お願いしてもいいでしょうか……」
「……どうぞ」