離婚するはずが、エリート警視は契約妻へ執愛を惜しまない~君のことは生涯俺が守り抜く~
鶴里さんが味噌汁に豆腐を入れてから、ぱたぱたと俺の方に小走りでやってくる。
その仕草がやたらと可愛く見えて──ぼうっと見つめてしまいそうな俺の意識をはっきりさせたのは、百の大袈裟な涙声だった。
「それにしても! やっと坊っちゃまが身を固めてくださる決心をなさるとは! 百の目が黒いうちには黒いうちにはと思っておりましたが!」
百の声に申し訳なさそうに眉を下げ、鶴里さんが小声で言う。
「す、すみません徳重さん。うまく説明ができなくて……」
「いや、いい。百は人の話を聞かないんだ。すまなかった」
そもそも俺たちの関係を上手く説明できるとは思えない。自分ですら訳が分かっていないのだから。
鶴里さんが不思議そうに首を傾げる。子鹿のようだと思った。
やはり俺は彼女を守りたいと思っているようだった。何か特別な、庇護する対象として……
朝食後、さんざん大騒ぎした百が帰宅して行ったのはもう昼前にならんとするところだった。俺はもう精神的に疲れ果てていたけれど、鶴里さんはニコニコと百の話を聞いているからすごい。
「疲れていないか?」
食堂──昔からそう呼んでいる、この家の数少ない洋室のひとつ──で向かいに座る彼女にそう話しかけると、鶴里さんはにこりと笑って「いえ」と首を振った。
「面白かったです。徳重さんの小さい頃の話もたくさん聞けましたし」
「それは正直、忘れてくれてもいいんだが……ところでひとつ、いいだろうか」
俺の言葉に、鶴里さんはハッとして背を伸ばした。
「わ、私なにか粗相を……」
「大丈夫だ。そんな話ではなくて──俺の名前は知っているか? 苗字ではなくて」
鶴里さんはその可憐な瞳を丸くして、それから目の縁をほんのりと赤くし「永嗣さんです」と答えた。
俺は少しばかり戸惑う。
彼女が俺の名前を覚えていた、ということにではなくて──彼女が俺の名前を呼んだ、ということに対して、異常なほどに身体が火照った。緊張と喜びが混ざり合った感情。
高揚してつい口を閉ざした俺に、慌てて鶴里さんが「ごめんなさい」と口を開く。
「馴れ馴れしかったですよね!? 申し訳な……」
「そうじゃない」
俺は急いで彼女の言葉を遮った。
「そうではなくて。つまり、今後は俺をそう呼んでくれ。夫婦になるんだから、俺もきみを名前で呼ぶ」
「ふ、うふ……」
戸惑う彼女に、軽く眉を上げた。
「まさか逃げる気じゃないだろうな」
言いながら思う。『逃げる気』?
まるで『逃がさない』と宣言しているようなものじゃないか?
俺はどうして、こんなに必死になって彼女を手許に置きたがっているんだ?
「──風香」
俺は雑念を振り払うように、彼女の名前を呼んだ。新緑を揺らす透明で白い風を連想させる、美しい名前を。