離婚するはずが、エリート警視は契約妻へ執愛を惜しまない~君のことは生涯俺が守り抜く~
3
 指輪。

 私は目を瞬いて、徳重さん……永嗣さんを見上げた。

 永嗣さんはシャツにセンタープレスのパンツで、シンプルなのがかえって彼の端正さを際立たせていた。

 そんな格好で腕まくりをして段ボールを運んでくれて──腕の筋肉が陰影を作る。私はなんだかそんなものすら見てはいけないような気がして目を逸らしていたのだけれど、そんな引っ越し作業中に彼は突然言い出したのだ。


 指輪を買わないか、と。


「で、でも。私たち、契約結婚なのに」

「契約、か……なあ風香、聖書って読んだことあるか?」


 永嗣さんは唐突にそんなことを言い出す。聖書?


「聖書ですか? あの、キリスト教の?」

「そう。それに何が書いてあるかは知っているか」

「えっと……」


 永嗣さんの意図が読めないまま、私は頭を働かせる。読んだことはないけれど、多分……


「神様の教え、とかですか?」


 永嗣さんは頷く。


「俺は高校がミッション系で……家は臨済宗の檀家らしいんだけれど」


 少し笑ってから続けた。


「極論、聖書に書かれているのは神と人との契約についてだ」

「……契約」

「契約とは聖なるものだとも言える。聖書ですら契約書なんだ……と言い切るのは怒られるかな。けれど結婚もまた契約の一種だ。大恋愛の最終幕であろうと、打算に満ちた序幕であろうと──」


 永嗣さんは立ち上がり、私の前に立つ。私は棒立ちになったまま彼のまっすぐな瞳を見つめ続けていた。


「だから、俺はきみを妻として扱いたい。少なくともこの『聖なる契約』の間は」


 そう言って彼は私の左手を取る。

 私の左手は、彼に持ち上げられ──彼の口元に。


「病める時も健やかなる時も」


 愛を誓われたのかと思った。


 彼の唇が、私の薬指に触れる。

 薬指に心臓があるのかと思う。どくどくと熱い。
 頷いてしまいたくなる。
 大好きなこの人の提案に乗って、ほんの一時だけでも彼を独占して、彼から贈られた指輪をして──


(でも)


 こくりと喉を動かす。

 永嗣さんが私を真剣に見つめている。私はそっと首を振った。色んな感情を振り払うように。


「けれど」


 声が震えていないといいな。


「そんな、大切なことは──」


 指輪を買いに行く。
 神様に愛を誓う。
 一生に一度しかない、煌めくようなその瞬間は……


「永嗣さんの、本当に大切な人として……ください」


 そうじゃなければ、罪悪感に押しつぶされそう。

 私はいま、こうして守ってもらえているだけでも十分に幸せなのに──

 そっと、目線を逸らす。

 永嗣さんが「そうか」と低く呟いた。ずきんと胸が痛む。永嗣さんはそれでも手を離してくれない。そっと手を握り直して、私の手首の内側、脈があるあたりに唇を寄せた。


「まあ、俺の気持ちは変わらない。これから君は俺の妻になるし、俺は君の夫になる」

「……!」


 私は必死で彼の顔を見ないように努める。だって本当に愛を囁かれているような気分になって──ああ、もう、なんで!

 期待してしまうから、優しくしないで……
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