聖女の魔力は無尽蔵でした〜転生したら「暴走したから危険だ」と幽閉されて魔力搾取され続けたけど、やっと自由になったので田舎でのんびり暮らそうと思う〜
 
 私が転生した時、『彼女』は人間一人分の記憶を抱えきれずに破裂した。
 それは魔力の暴走。
 家が一つ、凄まじい衝撃波に見舞われた。
 おかげでまだ幼い、四つになったばかりの『彼女』は「危険だ」と一族に恐れられ、忌み嫌われて屋敷の地下に幽閉。
 膨大なその魔力を“二度と暴走させないために”搾取され続けることとなる。
 かつて、平和で清潔な日本で暮らしていた私にとって、『彼女』の生活はあまりにもひどい。
 暴走してしまったのも、私の——前世の記憶を取り戻したことが原因。
 可哀想な『彼女』は人格を形成する前に私という前世の記憶に乗っ取られて、塗りつぶされてしまった。
『彼女』——私の名前はホリィスティル。
 もう誰もその名を呼ぶことはないけれど。

「……クソ! おい! さっさと魔力を込めろ!」

 どれほどの時間が流れたのだろう。
 優しい言葉をかけられることはなく、私がこの世界でかけられる言葉は罵詈雑言ばかり。
 日常会話すらまともにできないため、男たちがかつての『お兄様』だったことくらいしか知らない。
 黒い短髪で目がつりあがっている方が次男のゲイル。
 赤茶色のウェーブがかったセミロングの方が長男のセルグ。
 伸び切った白髪を引きちぎるように掴み、冷たい石畳の床に叩きつけたのは次男のゲイル。
 私が一番嫌いな人。
 ゲイルは魔石を突き出し、私に魔力を込めるよう命令してくる。
 今までは言われた通りにしていたし、今までできていたけれど、ここ数日、私の魔力はまるで反応がない。
 魔石に触れるけれど、うんともすんともいわなかった。

「…………」
「どうだ?」
「ダメだ、まるで魔力が貯まらん」
「いよいよ魔力が尽きたのかもな。父上に報告しよう」
「ああ」

 舌打ちして二人は檻の外へと出ていく。
 周りに散らばっているのは空の魔石。
 その合間に、私の首輪を壁と繋ぐ太い鎖がある。
 生まれてから一度も洗ってもらったことのない体と髪。
 ガリガリに痩せた手脚。
 明かりは檻の外の、階段の前にある松明だけ。
 力を振り絞って起き上がり、ぼんやりと見慣れた景色を見つめた。
 自分がかつて、前世で、どうやって死んだのか、どんな人間だったのか、もう思い出せないけれど……ホリィスティルの扱いが奴隷のようだということはよくわかる。
 兄たちとは二つか三つしか違わないはずで、彼らが十代後半ぐらいに成長しているから、ホリィスティルも十五歳くらいにはなっているのだろうか?
 じゃあ、私は十年くらいはここで過ごしているのね。
 まあ、それを考えたところでどうすることもできない。
 手のひらを見下ろすと、しわくちゃ。
 さらに、まるでおばあさんみたいな白い髪が垂れ下がる。

「……」

 お腹すいた。
 ずるり、と這って檻に近づく。
 残飯が檻の前のゴミ箱の中に捨てられており、私はそこから食べられそうなものを取って食べる。
 今日は魚の骨。
 珍しく身が少し残っている。嬉しい。ご馳走だわ。

「…………」

 明らかな栄養失調。
 未発達の体。
 きっと私はここから一生出られずにここで朽ちる。
 それなら、もういっそ、食べることをやめて自死した方がマシなんじゃないだろうか。
 私は最近そう思うようになっている。
 言葉も、罵詈雑言以外かけられたことがないからよくわからないし、発育不良で声を出すこともないし多分話せない。
 外の世界に出て、自由に生きてみたいと思ってたことはあるけれど、魔力——魔法のようなものがある世界なら、魔物みたいな危険な生き物もいそうではないか?
 そう思ったら、この地下牢が一番安全なような気もしてきて絶望した。

 私は外で生きていくことはできない。

 そう結論が出た途端、身の残った魚の骨を食べる元気も失った。
 私、前世でそんな悪いことをした人なんだろうか。
 もう前世の自分のことなんて、なにも思い出せないけれど……そこまで悪人だったはずないと思うんだけどな……。

「!」

 いつもなら眠ってしまうのだが、今日は珍しくまた来客だ。
 残飯を捨てにくるメイドにしては時間が早いし、足音が違う。
 大きくて乱暴な足音……ゲイルとセルグだわ。
 でも、それにもう一人の声もする。
 怖くて、魔石に手を伸ばす。
 魔石に魔力を込める“仕事”をしているフリだけでもしなければ、殴られるかもしれない。
 それは、嫌。
 痛くて死んでしまう。
 治療だって受けさせてもらえないのに。
 痛みで死ぬのは、嫌だ。

「おい、クズ」

 降りてきたのはやはりセルグとゲイルの兄弟。
 けれど本当に久しぶりに、その父親も姿を現した。
 二人の父……多分、私にとっても父。
 けれど父と思われるその男は、私を「ごみ」「カス」「クズ」としか呼ばない。
 息子たちもそれに倣って、ニヤニヤと笑って見下ろしていた。

「ついに魔力が出なくなったそうだな。本当に出なくなったのか?」
「…………」

 魔石を檻の外から投げ込まれる。
 これに魔力を込めてみろということだ。
 私は投げ込まれた魔石を拾って、両手で包み込み集中する。
 けれど、暗い色をした魔石は魔力込めたつもりでも光らない。
 魔石に魔力を込めたら、今までは輝いていたのに。

「本当に魔力が尽きたようだな。チッ、使えん。もはや存在意義すら失ったか」
「どうします、父上? 餌代も馬鹿になりませんよ?」
「なにより臭いですしね。地下市にあたりに出してみますか? 白髪青眼は珍しいですし」
「おいおい、兄様。こんなゴミ売れるわけないでしょう! どんな好き物の変態でもこんな骨と皮、使いませんって!」
「そうだな。川にでも捨ててこい」
「わかりました」
「だとさ」
「…………」

 兄たちと、父。
 三人の会話はトントン拍子に進み、私は川に捨てられることになった。

「用済みだ」

 父のモノを見下ろす目。
 兄たちのゴミを見下ろす目。
 もうなにも感じない、私。
 三人が去ったあと、しばらくして男が三人地下牢に降りてきた。
 彼らは帽子を深く被っていて、顔がわからない。
 檻の外の一人が大きな麻袋を開き、残りの二人が檻の中に入ってくる。
 二人のうち一人が鎖を外し、もう一人が私を立たせようと腕を掴む。
 けれど、二人は私の様子を見て「立てそうか?」「無理だろ」と短い会話で判断して腕と足を持ち上げて運ぶ方法に変えた。
 そのまま檻の外に出され、麻袋の中へと入れられる。
 淡々と処理され、頭の上の紐が袋の口を閉じた。

「殺してから捨てるのか?」
「旦那様からは生きたまま川に捨てろとのことだ」
「そうか。苦しむだろうな……」

 男たちからは同情する気配を感じたけれど、私はやはりなにも思わない。
 苦しいのは嫌だなぁと、目を閉じた。
 この人たちは、殺してから沈めてってお願いしたら、殺してくれるだろうか?

「……ァ……ゥ……ァ……」

 口を開けて話しかけようとしたけれど、やはり声は言葉にならない。
 声が出ているかすら怪しい。
 袋は担がれ、私は薄い暗がりの中、数年ぶりに階段を登った。
 そこからどんなルートで外へ出たのかはわからないけれど……外の空気を感じる。
 日差し。匂い。石と不潔な自分以外の、緑の爽やかな香りだ。
 袋に触れる。
 この麻袋の布一枚隔てた向こう側が、私の生まれた世界。
 死ぬ前に、一目見てみたいな……。
 見て、見たかったな。

「じゃあな」
「次生まれてくる時は、お貴族様のところはなんぞ生まれてくるなよ」

 もしかしたら、私がこの世に生まれてから初めてかけられたかもしれない罵詈雑言以外の哀れみの言葉。
 次の瞬間、ドボン、と水の中に放り込まれる音がした。
 苦しいのは、嫌だな。
 袋に手を触れたまま、目を閉じて祈った。
 苦しまずに死にたい。
 川の中から化け物でも出てきて、私を噛み砕いて殺してくれないだろうか。
 できれば、一思いに。

「?」

 それからどれほど時間が経っただろう?
 体は揺れるけれど、袋は沈む気配がない。
 けれど川の中を流れているのはわかる。
 袋が揺れているから。そして、川の冷たさでどんどん骨と皮しかない体が冷えていくから。
 やだ、凍死する?
 凍死かぁ、痛くないからいいかもしれない。
 確か、寝たら二度と目覚めないのよね。
 いいや、凍死で。寝よう。
 そう思って目を閉じた時だ。

「あぅ」

 ごつん、と頭を硬いもので打つ。
 さらにずるずると地面に袋が引きずられる感覚。
 え? 陸に打ち上げられた?
 いえ、この感じからして……誰かに川から引きずりあげられた?
 袋がハラリと口を開き、ひょこりと顔を覗かせたのは獣。
 純白の——柴犬。

「?」

 いや、さすがに柴犬、ではないのかも。
 柴犬に似ている犬。
 じゃあ柴犬? 白柴? 可愛い。
 舌を出してはっはっ、と笑っているように見える。
 けれど私、麻袋から出る元気もない。
 ぼーっと柴犬を見ていると、もう一匹黒とタンの黒柴ちゃんが現れた。
 白柴ちゃんと黒柴ちゃん。可愛い。

『ねぇ、なにしてるの?』
『あそぼー』
『あそぼー』

 さらにもう一匹。
 茶色い柴ちゃんも現れた。
 その子は積極的に袋の中に顔を突っ込んできて、私の汚い顔を舐める。
 あぁ、獣くさい……多分人……じゃない、犬のことは言えないけれど。

「ううっ」
『あ、そ、ぼ』
『あ! そ! ぼ!』
『あそぼーあそぼー』
「うう……うう……」

 無理なの、私、そんな体力ないの。
 みんなみたいに元気じゃないの。
 立てないし、今も麻袋から出ることができないの。
 頭の中で一生懸命そう伝えていたら、黒柴ちゃんが『そうなの?』と聞き返してきた。

「?」

 あれ? それ以前に、どうして私は柴ちゃんたちが『遊ぼう』と言ってるって、わかるの?
 恐る恐る見上げると、突然足元が持ち上がる。
 袋からずるりと落ちて、地面に転がった。
 なに? なにかが麻袋の底を持ち上げて、私を袋から出した?
 視線を辺りに彷徨わせると、麻袋を加えた巨大な黒い獣と目があった。

「…………」

 ぴょんぴょんと跳ねる柴ちゃんたちは、やはり子犬みたい。
 そしてその子犬たちの親、なのだろうか?
 どう見ても狼なのだが。
 あまりの大きさと威圧感、堂々たる姿に体が震えて仕方ない。

『人間……? どうして人間の娘が川から袋に入って流れてくるんだ?』
『まあ、珍しい。落葉、殺してはダメよ』
『殺しはしないけどさぁ』

 黒い獣の後ろから、純白の獣が現れた。
 黒い獣よりも巨大な——犬神だ。
 なぜだかわからないけれど、はっきりとわかった。
 これは、神だ。

『名前はなんというの』
「……」

 白い犬神にそう問われ、心の中でもう誰にも呼ばれなくなった名前——ホリィスティルを告げる。
 すると犬神は『ホリィスティルね』とうなずく。
 心の中、頭の中が、読まれている。
 そう確信するのに十分。

『妾の山にようこそ、ホリィスティル。子どもたちがあなたを気に入ったみたい。遊び相手になってくれるかしら?』
(あ、で、でも、私……)
『ガリガリに痩せてて不味そうだぜ?』
『食べません。妾たちは山の恵み以外には手を出さない。それよりも、その娘を運んで。村に連れて行きましょう。ずいぶん衰弱しているようですしね』
『はぁ——やれやれ、これも修行か」
「!」

 黒い獣のが突然、黒髪黒目の人の姿に変わる。
 見目麗しく、一目で人ならざるものだとわかるほど。
 彼は私を横抱きにして抱えると、飛び跳ねる子犬たちを気にした様子もなく犬神様についていく。

「あ、あ……ぅ」
「俺は落葉(らくよう)。あれはこの山の主で犬神のヴァーフ様だ。あと茶色いのがリク、白いのがカイ、黒いのがソラだ」
「…………」
『オイラリク! よろしくね!』
『ボクがソラ!』
『あたちカイ!』
(よ、よろしく……)

 やはり言葉が話せないから心の中で言うと、やはり彼らには伝わったみたいで子犬たちは『よろしく』『よろしく』と返事をした。
 可愛い。
 でも、助かるけど、どうなっているのだろう。

『あなたの考えが読めるのは念話よ。あなたは強い魔力があるから使えるの。無意識みたいだから、追々使い方を覚えましょうね』
(念話……?)
『考えを他者に伝える魔法よ』
(ま、魔法? でも、私、魔法なんて教わったこと……)
『ええ、無意識に使っているの。無意識に魔法を使うのは危ないから、ちゃんと覚えましょうね』
(は、はい)

 そうして運ばれた先には色々な種族が住む小さな村があった。
 私はそのままヴァーフ様のお家に運ばれ、一階のお部屋にあるベッドに寝かされる。
 ヴァーフ様は光に包まれ、美しい女性の姿になった。
 真っ白な髪と金の瞳。
 ふわふわの毛皮の服。
 す、すごい。

「ここは山の村、ハフ。人の国と竜王帝国の狭間にある小さな村です。結界を張ってあり、普通の方法では入ってこれません」
「…………」
「ホリィスティル、あなたは川の結界をあの袋に張った結界ですり抜けてきたのですよ。あなたは何者?」
「…………」
「そう、よくわからないのね」
「…………」

 考えていることが筒抜けなのか、私が頭の中で言葉を組み立てる前にすべてヴァーフ様に伝わってしまった。
 ヴァーフ様はこれまでの私の生活も理解したのか、綺麗な顔を歪ませる。

「ともかく、まずは体をなんとかしましょう。……オリーブ」
「はい、ヴァーフ様」
「!」

 ヴァーフ様が手を叩くと、金髪碧眼の女の子が入ってきた。
 耳が長い。この子も人間ではなさそう。

「オリーブというエルフの娘よ。年も近そうだからお世話をしてもらうといいわ」
「ヴァーフ様、この娘は?」
「ホリィスティルというの。妾の結界をすり抜けてきたのよ。きっと聖女ね」
「まあ! 聖女様!? ど、どうして聖女様がこんなお姿に!?」
「さぁねぇ? 人間の国から来たみたいだけれど、ホリィスティルが聖女だと気づかなかったのではないかしら? ほら、人間は基本愚かだから……」
「うわ、間抜けにも程があるじゃありませんか! でも、このままだとまずいですよね。わかりました、ホリィスティル様のお世話はわたくしにお任せください!」
「ええ、お願いね」
「…………」

 またも私が口を挟む間もなく話がまとまってしまった。
 そして、なに? 聖女? 聖女って、あの聖女だろうか?
 聖なる力を持つ、清らかな乙女。
 私が? いったいどういうこと?

「まずはお体を清めましょう。ベッドもシーツを変えて清潔にしましょうね」
「……ァ……ゥ……」
「ホリィスティルは言葉を話せないみたいだから、念話で聞いてあげてね」
「なんと! わっかりましたー!」
「では、妾は村のみんなにあなたのことを説明しに行ってきます。ゆっくり休みなさい」
『またあとでね!』
『お夕飯は一緒に食べよーね!』
『行ってきまーす!』

 リク、ソラ、カイもヴァーフ様について行く。
 ラクヨウも、私を一瞥して部屋から出て行った。
 取り残された私はオリーブに顔を近づけられる。

「?」
「うーん、これは魔法でもちょっと……。よし! 温泉に行きましょう!」
「???」
「ちょっと失礼しますね! ウッドリー!」
「!」

 オリーブが魔法陣を足元に生み出す。
 そこから現れたのは木の根に覆われた巨人。
 獣の姿でも歩けるよう、大きめな作りのお家だからこそこの二メートルはありそうな木の巨人が出現できたのだと思う。
 いや、これは、そもそも、もしかしなくても。

(ま、魔法?)
「そうですよ。もしかして初めて見ますか?」

 こくこく、強く何度も頷く。
 すると首が痛み出した。
 私、頷く首の筋肉もないんだった。
 首輪が支えてくれなければもっと痛かったかもしれない。

「さ,行きましょう」
「?」

 オリーブには気づかれなかったみたいだけれど、召喚されたウッドリーという木の根の魔法生物……?により私はまた横抱きにして外へと運ばれる。
 外,と言っても家の裏側。
 木柵に囲われた、湯気の立つ小さな池……これは——!

「さ、服……服? 布? ですね? ええい、聖女様にこんなボロ布を着せるなんて、なにを考えているんでしょうか」
「…………」
「ポイしましょうね」
「!?」

 まさか捨てられるとは思わずびっくりしていると、体に水で薄めたぬるま湯がかけられる。
 温泉の湯は比較的熱くて、私の体には早い。
 オリーブは石鹸で泡を立てて、それを私の体に撫でつけていく。

「これは石鹸というんですよ。大昔の聖女様が開発して、世界中に広めたのです」
「…………」

 石鹸……そういえば異世界にも石鹸って普通にあるんだ?
 大昔の聖女様が開発して広めた?
 私はその意味を、全然正しく受け取らなかった。
 そうなんだ、ぐらいなもので。

「マルセイユ石鹸といって、オリーブオイルだけで作られている石鹸なんですよぉ! ゴシゴシしていきますね」
「…………」

 こくこく、頷く。
 この石鹸、オリーブオイルとあと天然のなにか、だけで作られていて、髪も顔も体も全部これ一つで洗えるんだそうだ。

「古の聖女様はすごいお方だったそうですよ。異世界から転生してこられて、多くの叡智をこの世界に齎し、遺された。以来、転生者で女性は『聖女』の称号を与えられ、国で大切に保護する法ができたのです。ですから、ホリィスティル様はこれから、毎日わたくしがお世話して綺麗にいたしますね」
「……」

 異世界からの、転生者。女性。
『聖女』。
 国で、保護。
 しかも、法律。
 確かに、私は女だし異世界からの転生者だ。
 けれど、私の育ちはとても“保護”とは言い難い。
 温かいお湯がかけられ、泡を落とされる。
 でも、私の身は勝手に震え始めた。
 実家での扱いを思えば、きっと私はそんなに大切にされるべき『聖女』ではない。
 ここの人たちもなにか勘違いしているのかも。
 魔力を暴走させたことのある私は、きっと聖女ではないのだ。
 ……ちゃんと話そう。
 そうしたら、痛くないように私のこの無価値な人生を終わらせてくれるかもしれない。

「お湯に浸かりましょうね」
「……」

 オリーブさんにも申し訳ないわ。
 私は聖女ではないのに、こんなに丁寧に扱ってもらって。
 温泉はとても気持ちよかったけれど。
 部屋に戻るとオリーブさんはシーツを替え、ベッドを整え、私を寝かせてくれる。
 そこへヴァーフ様がラクヨウと帰ってくる。
 三兄弟の声は外。
 とても楽しそうに遊んでいる声だ。
 お庭かな?

「まあ、綺麗になったわね」
「はい! ホリィスティル様はとても珍しい御髪と瞳をお持ちですね! さすがは聖女様です!」
(あ、あの……私、多分、聖女では、ないです)
「「え?」」

 申し訳ない。
 ここまでよくしてもらったのに。
 でも、騙してしまうのはもっと申し訳ない。
 だから私は幼少期に魔力を暴走させて屋敷を破壊してしまったことを素直に話した。
 前世の記憶も、もうほとんどない。
 古の聖女の話を聞く限り、聖女というのは国で保護して前世の記憶による叡智とやらを国の益となるよう広まめる存在。
 でも、私にはそのような記憶はない。
 その上、魔力もそこを尽きてしまった。
 だから用済みとして家から捨てられたのだ。

(だからごめんなさい。私は聖女ではありません)
「いいえ、ホリィスティル。あなたは聖女よ」
(ヴァーフ様……ですが……)
「ホリィスティル、聖女は確かに前世の知識を用いて世界を豊かにしてくれます。けれど、聖女の力は知識だけではありません。あなたの話を聞く限り、あなたには普通の人間にはとても扱えぬような魔力量があった。それで魔石に魔力を注いでいた。違いますか?」
(そうです……けど……)

 それが私の、あの屋敷での仕事であった。
 空になった魔石に魔力を注ぎ続ける。
 あの作業になんの意味があったのかは、よくわからないけれど。

「転生者の女性は無尽蔵の魔力を持つ。それもまた特徴の一つ」
「!」
「あなたがいたと思われる国は人間の国。西の大国『グリートンビル帝国』。世界最大の大国で、大陸の半分を占めています。現在グリートンビル帝国は大量の魔石兵器を用いて隣国『ソラフ竜女王国』を一方的に侵攻しています」
「…………。……!?」

 え? なに?
 人間の国が、隣国を侵攻してる……!?
 魔石兵器!?
 な、なにそれ、それって、そんな、まさか、まさか!

「あなたが注いでいた魔石は兵器に使われていた可能性がある、ということです。けれど、あなたの魔力が尽きたのであればそれはきっと世界があなたの魔力の悪用を止めるためでしょう。聖女とはそういうものです」
「っ、っ」
「ええ、あなたが魔力供給を止めたならば、魔石兵器もいずれ停止します。ソラフ竜女王国は竜の国。人間の魔石兵器では落とし切ることは不可能。だから大丈夫ですよ。落ち着いて」
「っ……」

 私の魔力が戦争に使われていた?
 そんな、それじゃあ人が死んでいるかもしれないの?
 いや、そんなの、それは、いや!
 震える私をヴァーフ様が抱き締める。
 あたたかくて、いい匂い。
 竜女王国は竜の国で、人間が束になっても敵わないから大丈夫。
 そう、言われるけれど、でも。

「ホリィスティル、それでもまずはあなた自身の回復を最優先させなさい。人間がよもや聖女をこのように利用するとは思いませんでしたが、この村は安全です。妾が結界で、他国と干渉しないようにしていますから」
「…………」
「つらかったでしょう。こんなに痩せて。本来であれば、大切に庇護されるべきあなたが、どうしてこんな姿になるまで魔力を搾り取られたのか……。もう大丈夫ですよ。妾と村の者があなたを守りますからね」
「…………」
「ゆっくり体を休めて……ああ、でもまずは食事を。ルルンが腕によりをかけて作ってくれた、マポの実のスープ。オリーブ」
「はい、こちらにお持ちしました。ホリィスティル様、どうぞ。お口を開けてください」

 ヴァーフ様がベッドに座って私を抱き締め、背中を撫でてくれる。
 その隣にオリーブさんが木皿を持って歩み寄ってきた。
 中には淡い白いスープ。
 マポの実?
 聞いたことがない。
 ……食べ物。
 私が食事をしていいの?
 戦争に加担したかもしれない、私が?

「…………し、しん……しに、た……い」

 言葉は不自由だ。
 でも、会う度に「死ねゴミ」などと言われてきた私はネガティブな言葉は少しだけど使える。
 精一杯頑張って、そう伝えると、オリーブさんは目を見開いて驚いた。
 だってそんな話を聞いてしまったら、私は、ますます生きていてはいけない。
 聖女?
 悪魔の間違いでは。
 私は、やっぱり災いを齎すゴミなのよ。

「ホ、ホリィスティル様……」
「ホリィスティル、もしあなたが他者を傷つける手助けをしてしまったと思っていて、それを悔いているのなら、死はなんの償いにもなりませんよ。それに、竜女王国はビクともしていません。魔石兵器よりも竜一体の方が強いのです」
「…………」
「あなたは世界を知らなすぎる。本当に申し訳ないと思うのなら、生きて竜女王国の民に謝罪に行けばいい。まずは元気になりなさい」
「ヴァーフ様! そんな! 聖女様はなにも悪いことしてませんよ!? そんな言い方……!」

 もう、ほとんどなにも感じなくなっていた心。
 戦争、人を傷つけたかもしれない。
 それに対しては激しい拒絶を感じた。
 嫌だ、と。
 私に残る心は、人に迷惑をかけることを拒絶する。
 それならば、ヴァーフ様の言う通り……私は竜女王国に謝罪に行かなければ。

「…………」
「ホリィスティル様? あ、食事ですね! はい!」

 震える手を伸ばして、木皿を受け取る。
 あまり力は入らないけれど、一口、私はマポの実のスープを——生まれて初めて食事らしい食事をした。

「……………………」
「ホ、ホリィスティル様? か、固まっちゃった」

 ほんのりと甘い、ミルクのような味。
 細かい肉の食感と、野菜が溶け込んだような深み。
 シチューに近い。
 優しい味だ。

「…………」

 ぽろ。
 もう、涙も枯れ果てた。
 すべてが、自分の命すらどうでもいいと思っていた。

(……おいしい……)
「よかったわ。ルルンに伝えておくわね」
「…………」

 頭を優しく撫でられる。
 ルルンさん、作ってくれた方……ありがとう……本当に、とても、とても美味しいです。
 スプーンが止まらない。
 あっという間になくなってしまった。

「あ……?」
「! これは!」

 お皿を膝の上に置いた瞬間、体から白い魔力が溢れ始めた。
 嘘、なんで?
 私の魔力は、もう尽きてしまったんじゃ……!?

「これが聖女の魔力……!?」

 ずっと入り口で私を訝しんでいたラクヨウさんが驚愕の声をあげる。
 私の体から溢れる魔力は止めどなく、部屋を満たし、部屋から溢れ、家の外に漏れ出す。
 ど、どうして急に……。

「すごい、これが……!」
「ええ、やはり間違いない。ホリィスティル、あなたは今代の聖女」
「!」

 ヴァーフ様が、そしてオリーブさんも突然ベッドから離れて膝をつき、私に頭を下げる。
 え? いえ、そんな、なんで——!

「ご生誕のお慶びを申し上げます。聖女様」
「改めまして、村の長、ヴァーフ。聖女様の来訪を心より歓迎いたします。どうぞごゆるりと滞在ください」
「…………っぇ」




 これは、搾取され続けた挙句捨てられた私が、この田舎の村でのんびり生きる決意をする物語。
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