ねこのひるねの、ひとりごと
部屋をあげてのパワハワ?
わたしの異動4回目。
こちらは患者相手ではなかったので、そんなに身構える事は無かった。
ただ学生時代、あんまり得意な分野では無かったから。
さっぱりわからない事ばかり。
1からのつもりで最新の教科書を購入。
ここの上司はしっかりしている。学会とかの発表も数多い。
教えてくれる先輩技師もいままでに一緒に仕事をしたことがある人だったし。
やっていけるかな。
ただ一1人だけ。
入職した時、ちょろっと見かけただけで。
『この人、キライ! 絶対あわん!!』
第一印象で最悪最低。
絶対に一緒に仕事をしたくないと感じた年配の男性技師がここにいたのである。
その人に肩書は無かった。
でもその道のキャリアは長く、20年越えの超古株。その部屋のヌシのような人。
わたしは「出来るだけ関わりあわんとこ」と、心に決めた。
わたしのこの手の『直感』は非常によく当たるのだ。
当たって欲しくはなくてもね。
取り敢えず、大変だった。
教えてもらうわたしは勿論、教えてくださる先輩も。
ここでの仕事は全て手作業。
自分の知識を武器に結果を出していく物で、その上材料によっては一刻を争うこともある。
慣れない頃は22時頃まで、仕事をしなければ終わらなかったこともあった。
その上、キャリアを重ねているベテランの上司は、やり手なこともあって。
「このくらいのルーチン作業では残業を認めない。」のだ。
つまり、未熟で遅くなってもタイムカードを定時で打ってから、残りの仕事をサービス残業しろという事。
やらなきゃあくる日に出る結果も出ない。
これだけでも、本当はおかしな話なである。
人事異動で来て間のない人間に。
ベテランと同じ速さでの仕事を要求する、しかも出来なければサービス残業。
当然、最初の頃は21時、22時までがトーゼンな毎日。
それをおかしいと思えない。
それは前の職場で「使えないヤツ」のレッテルを貼られたから。
なんとしても、ここではその評価をひっくり返したかった。
無論、母は「とんでもない部署!さっさと異動願い出しなさい!」
入って1~2か月頃からずっと言ってくれていた。
けれども。
今度はわたしがここの業務を続けたくなっていた。
その頃には一応一通りの業務が自分の判断でほぼ行えて。
とんでもない「サービス残業」もほぼなくなってきていた。
無論、学会やら勉強会やらには、ほとんど参加しなかったけれど。
久しぶりに、「仕事」で「これがしたい」と思うものが出来たのだ。
ところが。
わたしの人生が人の知らない所で動いているように、部屋のスタッフの人生もそれぞれ動いており、いくつかの転機を迎えていたようで。
まず、やり手の上司が他施設からのヘッドハントで退職していった。
次に、子供を2人抱えて時短で働いていた人が時短明けに退職を決め。
極めつけに、わたしにここの業務を教えてくれた人まで寿退職していった。
もうひとり別部署から女性の主任技師が異動してきて。
その次は年齢的に「ヒラ技師」のわたし。
その下は入職1~3年程度の若い子ばっかり4人。
それでも、部屋が一丸となって落ちたレベルを上げるべくみんなが同じ方向を向いて努力すればなんとかなったのかも知れない。
けれど。そうはならなかった。
こちらは患者相手ではなかったので、そんなに身構える事は無かった。
ただ学生時代、あんまり得意な分野では無かったから。
さっぱりわからない事ばかり。
1からのつもりで最新の教科書を購入。
ここの上司はしっかりしている。学会とかの発表も数多い。
教えてくれる先輩技師もいままでに一緒に仕事をしたことがある人だったし。
やっていけるかな。
ただ一1人だけ。
入職した時、ちょろっと見かけただけで。
『この人、キライ! 絶対あわん!!』
第一印象で最悪最低。
絶対に一緒に仕事をしたくないと感じた年配の男性技師がここにいたのである。
その人に肩書は無かった。
でもその道のキャリアは長く、20年越えの超古株。その部屋のヌシのような人。
わたしは「出来るだけ関わりあわんとこ」と、心に決めた。
わたしのこの手の『直感』は非常によく当たるのだ。
当たって欲しくはなくてもね。
取り敢えず、大変だった。
教えてもらうわたしは勿論、教えてくださる先輩も。
ここでの仕事は全て手作業。
自分の知識を武器に結果を出していく物で、その上材料によっては一刻を争うこともある。
慣れない頃は22時頃まで、仕事をしなければ終わらなかったこともあった。
その上、キャリアを重ねているベテランの上司は、やり手なこともあって。
「このくらいのルーチン作業では残業を認めない。」のだ。
つまり、未熟で遅くなってもタイムカードを定時で打ってから、残りの仕事をサービス残業しろという事。
やらなきゃあくる日に出る結果も出ない。
これだけでも、本当はおかしな話なである。
人事異動で来て間のない人間に。
ベテランと同じ速さでの仕事を要求する、しかも出来なければサービス残業。
当然、最初の頃は21時、22時までがトーゼンな毎日。
それをおかしいと思えない。
それは前の職場で「使えないヤツ」のレッテルを貼られたから。
なんとしても、ここではその評価をひっくり返したかった。
無論、母は「とんでもない部署!さっさと異動願い出しなさい!」
入って1~2か月頃からずっと言ってくれていた。
けれども。
今度はわたしがここの業務を続けたくなっていた。
その頃には一応一通りの業務が自分の判断でほぼ行えて。
とんでもない「サービス残業」もほぼなくなってきていた。
無論、学会やら勉強会やらには、ほとんど参加しなかったけれど。
久しぶりに、「仕事」で「これがしたい」と思うものが出来たのだ。
ところが。
わたしの人生が人の知らない所で動いているように、部屋のスタッフの人生もそれぞれ動いており、いくつかの転機を迎えていたようで。
まず、やり手の上司が他施設からのヘッドハントで退職していった。
次に、子供を2人抱えて時短で働いていた人が時短明けに退職を決め。
極めつけに、わたしにここの業務を教えてくれた人まで寿退職していった。
もうひとり別部署から女性の主任技師が異動してきて。
その次は年齢的に「ヒラ技師」のわたし。
その下は入職1~3年程度の若い子ばっかり4人。
それでも、部屋が一丸となって落ちたレベルを上げるべくみんなが同じ方向を向いて努力すればなんとかなったのかも知れない。
けれど。そうはならなかった。