これはきっと、恋じゃない。


 生徒会室に戻る途中、自販機に寄った。
 ピ、と電子音と落ちてくる音がした。ぼんやりしたまま、抹茶ラテを取り出す。

 うまくやれる自信がない。
 森山先輩は偉大な人だった。いなくなって気がつく。
 真悠先輩も、香奈先輩も。周りを和ませて、みんなが発言しやすいような環境を作ってきた。

 わたしにできるかな。
 生徒会が楽しい場所だったのは、そうやって先輩たちがたくさん気を遣ってくれていたからだ。

 思い足取りで生徒会室へと戻る。でもそこでウッドデッキが目に入って、よろよろとした足取りでガラス戸を開けた。

 いつもなら王子くんがいるその場所も、今は誰もいない。そんなにいい場所なのかな。ほんの興味本位から、そこに入って座り込む。

 静かな場所だった。音は鳥のさえずりくらいしかなくて、風の音がする。景色も綺麗で、なにかを考えるにはぴったりの場所だった。

 三角座りをして、顔を伏せる。
 でも、静かすぎてだめだった。考えなくてもいいことを考えてしまう。

 先生から、期待されている。
 さすがだね、と言ってもらえて、選んだ甲斐があったと言われて。

 逢沢ならできると言われて。

 あれ、せっかく頼んだのに、なんて言われてはだめだ。
 ちゃんと、やっぱり逢沢でよかったと言ってもらわなきゃ。

 すると、戸が開く気配がした。
 水野さんかな。そう思って顔を上げると、意外な姿に固まった。

「王子くん……?」

 なんで?
 今日、休みだったのに。

「逢沢さん……」

 お互いに驚く。
 でもなにも言わず、少し離れて座った。
 王子くんは特に何かをするわけでもなく、そこに座った。

 梅雨明けは近い。
 空は薄陽が差している。

 王子くんは長袖を腕まくりした。動いたら、ほんのりと甘い匂いがしてくる。

 王子くんはなにも言わなかった。
 ただ、じっと座っていただけ。

「……練習、しに来たんだよね」

 邪魔したらだめだ。そう、立ちあがろうとした。

「なんで? ここは俺だけの場所じゃないから」

 暖かい、ひだまりみたいな声が答えた。

「俺でよかったら、話聞くよ」
「おもしろくないよ」
「おもしろくなくていいよ」

 暗闇の中。動けないでいる。
 不安だからと何かをするわけでもなくて、不安だ不安だと唱えて、期待に応えられなかったらとタラレバの話ばかりして。

「不安でね」

 ばかにされたらどうしようと思う。
 でも、王子くんにならなんでも話せるような気がした。

「会長になって、前の先輩みたいにうまくできるのかなって」

 あの日降ってきた重石は、まだ沈んだまま。たぶんずっと引き上げることはできない。

 ――逢沢なら。
 ――逢沢だから。

 他意はない。そう思ってるから、そう言ってくれる。

「ほんとはね、期待しないで、わたしばかり任せないでって思ってるの」

 みんなが思うような子じゃない。
 勉強だってしないとできない。数学は壊滅的にダメだ。
 将来なりたいものも行きたい学校もなにもない。

「……ほら、面白くないでしょ」
「面白かった」

 顔を上げた。
 すぐ近くに、綺麗に笑う王子くんがいた。
 優しい笑顔だった。

「……似てるな」

 王子くんはつぶやいた、その意味はよくわからない。

「がんばらなくていいんじゃないかな」

 その言葉を聞いた瞬間、なぜだか涙が溢れてきた。
 自分の感情がよくわからない。なんで泣いてるのかも。
 やだ、王子くんの前で泣きたくない。

 その言葉が欲しかった?
 がんばらなくていいよって、言ってほしかったの?

「逢沢さんは、すごくがんばってるから」

 そんなの、王子くんに言われたって。
 まともなわたしならそう思った。
 でも、今日はちがった。

 がんばってるんだ。
 わたし、これでも一応がんばってる。

「みんないるよ。他の生徒会の子たちもいるんだから」

 うん、と声にならない声で答える。

< 101 / 127 >

この作品をシェア

pagetop