これはきっと、恋じゃない。

10.洒涙雨の別れ①


 梅雨末期の大雨だと、天気予報は言っていた。
 朝から止み間を作ることなくひたすらに降り注ぐ雨は、視界を白で覆って勢いを強めていた。

 びしょびしょになりながらなんとかたどり着いた学校は、湿気と雨のせいでひどくじめっとしている。教室の扉を開けると、エアコンの軽い空気が飛び出してきた。

「おはよう」

 どことなくわたしに視線が集まる。特に女子たちの。
 それでやっと気がつく。背筋がぞわりとした。

 ……あのことだ。

 この間、亜子ちゃんが見つけたあの写真。
 ウッドデッキで王子くんが、わたしの方に身を乗り出している写真。

 心臓の鼓動が早くなっていく。たぶん、みんなもう知っているんだ。それもそうだ、あの時点でかなりの速度で拡散されていたんだから。

 席に着く。すると待っていましたと言わんばかりに、彩芽ちゃんが来た。

「ねえねえ千世ちゃん!」
「な、なに?」
「これ、千世ちゃんだよね!?」

 その言葉とともに差し出されたスマホには、やっぱりあの写真が表示されていた。

『セレピの王子くん、彼女いるぽい…😭😭』
 という言葉とともに。

「ねぇ、千世ちゃんって王子くんと付き合ってるの?」

 教室は、わたしたちの会話を聞こうとするためか、しんとしていた。空調の低い唸り声と、窓ガラスに激しい雨が打ちつける音ばかりが響いている。

「……ちがうよ、そんなわけないじゃん」

 笑って言ってみるけれど、彩芽ちゃんは怪訝そうな顔を崩さない。

「えー、それってほんとに? 王子くんってば、ほとんど女子とは喋らないのに、千世ちゃんとはよく話してるし!」
「それは席が隣だから」
「でもさぁ」

 もうやめて。
 
 心臓は変わらず早鐘を打つ。背筋がぞわぞわとして、今にも逃げ出したくなるけれど、ここで逃げ出すと暗に認めてしまうことにつながりそうで、できなかった。

 机の模様をじっと見つめる。
 どうしたらいいの?
 否定しても、すぐには収まらない。

 それに写真はもうインターネットの広い海に放り出された。誰が見ているのかわからない。ファンはおろか、セレピと仕事をする人たちも見ているかもしれない。

 これがきっかけで、王子くんたちに迷惑がかかることも、あり得るかもしれない。

「ちょっと彩芽、邪魔なんだけど」

 そのとき、低く冷たい声が前からした。顔を上げると、そこには亜子ちゃんがいた。

「あ、ねぇ亜子は知ってた?」
「なにをよ」
「これだよー」

 そう言うと、亜子ちゃんは画面を見ると目を見開いた。

「うっわ、あのとき撮られてたの!?」

「……へ?」
「ほら、これだいぶ前にペアワークで話してたときのだよ、私着いてったし! ね、千世」

 目が語っていた。あわせて、と。

「……うん、そうなの。これね、国決めるのどうするって話してたときのだと思う」
「えー、なんだ! そうだったんだ!」

 よかった。うまく誤魔化せたかな。
 そう思いながら亜子ちゃんの方を見ると、亜子ちゃんはいつもの笑顔を浮かべていた。それから、ふっと鼻で笑う。

「千世のためにも、探すか。犯人」
「え?」
「何驚いてんのよ彩芽。千世を困らせたやつ、許せる? それにうちの学校は撮影禁止なんだからさ、だめなことはちゃんと罰さないと」

 彩芽ちゃんと亜子ちゃんが盛り上がる声が、どこか遠くで話しているみたいに聞こえない。耳のすぐそばにあるみたいに、心臓の音の方が大きい。

「あーあ、このままだと写真撮った子、退学になっちゃうね」
「退学!?」
「知らないの? 琥太朗たちがいたとき実際退学になってる人いたから」
「うそ! やばぁ!」

 この場を乗り切れたところで、すでにたくさんの人にこの写真は見られているだろう。
 そうすると、王子くんに彼女がいるという噂がたつ。アイドルは恋愛禁止。明文化されてなくても、それは明らかな暗黙の了解で、ファンもそれを当然と思っている。

 ……どうなるんだろう。
 わたしのせいで、わたしの軽率な行動のせいで。
 単独が決まって、今度は少し大きなキャパだって喜んでいた王子くんが。

「千世! 気にしないの、こんなのよくあることだから」
「……うん」

 よくあること?
 そんなわけない。

 王子くんはすごく夢に向かって頑張ってた。お昼休みにみんなと騒がず、一人でダンスの練習をするほど、真剣に。
 なのに、こんなことで、デビューする夢がだめになったらどうしよう。

 わたしのせいだ。
 わたしが、王子くんと軽々しく話したから。
 あのとき、やっぱりウッドデッキになんか行かなかったら。

 こんな写真は、撮られなかった。

「……ごめん、ちょっとトイレ行ってくるね」

 相変わらず、雨はひどく降っていた。

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