これはきっと、恋じゃない。
梨花ちゃんは話し終えて満足したのか、制服のポケットからスマホを取り出していじり始めた。ケースには最近の子らしく、カードやシールが挟まっている。
そのケースをなんとなく眺めたとき、わたしはぎょっとした。
「ん!?」
「え、なに?」
「いや……その、カード」
「ああ、これ?」
梨花ちゃんが顔の横でケースを掲げた。白い服に身を包んで、メランコリックな表情をしてこちらを見ているのは。
「王子遥灯くんでーす!」
――王子、くん。
「……え、梨花ちゃん、好きなの?」
「うん! 推し!」
息が止まるかと思った。
梨花ちゃんはまたスマホをいじり始めた。そしてしばらくして、今度は「は!?」と大声をあげた。
「な、なに!」
「どうしよ先生! 王子遥灯、主演映画決まった!」
「え!」
梨花ちゃんはソファから立ち上がると、スマホを持ってわたしに見せてくれた。そこには、制服姿の王子くんが笑顔で映っていた。着ている制服がやけに英城のものに似ているせいで、あのころの日々がよみがえり始める。
「高校生役かぁ……うわぁ、楽しみだなぁ!」
23歳になるはずだけれど、少し童顔なせいか制服を着ていても全く違和感がない。それが余計に、記憶の再生を加速させた。
「ていうか、逢沢先生も王子くんのこと好きなの?」
「……いやまぁ、好きっていうか」
なんていえば良いんだろう。ファン、ではあると思う。……一応。
少し悩んで、梨花ちゃんの耳のそばで声を顰める。
「……同級生なの」
すると梨花ちゃんはぽかんとした顔をして、しばし考え込む。それから、驚いたように目を見開いた。
「英城!?」
「声でかいよ。……そう、2年から同じクラスだった」
「はぁ!?」
2年生の前半。本当に、色々あった。
断片的によみがえる記憶を辿る。隣の席になったこと、授業中の真剣な王子くんの表情とか、手紙のやりとりをして密かに笑ったこと。その思い出たちは、いま養護教諭として働くわたしを支えている。
「じゃ、じゃあ高校のとき彼女と写真撮られた真相は!?」
「――は?」
突然のことに、心臓がぎゅっと縮んだような気がした。
「え、知らない?」
そう言うなり、梨花ちゃんはスマホを操作するとまた見せてくれた。あの日撮られた、わたしと王子くんの写真が目の前に突き出される。
……まだ、残ってるんだ。
膨大なインターネットに、彼方に忘れられたはずのものさえも残っている。一度入れたものはなかなか消えないタトゥーのように、その写真もそうなのだ。だからデジタルタトゥーと言う。
それでも、時間の経過がわたしを強くした。
その写真を見ても、もうなにも思わない。もはや懐かしいとさえ思えてくる。
「それ、ガセなんだって」
写真を撮られたのは事実。
でも、わたしは王子くんの彼女でもなんでもない。だからガセだ。
「え、そうなの?」
「うん。他にも友達いたらしいし」
クラスの子たちがSNSでそう言ってくれたのと、事務所が大事な時期だからと抑え込んだらしい。……でもそれを知ったところで、わたしたちはもう元には戻れなかった。
わたしだけにしろ、好意があったのは事実だったから。
「あと英城はね、校則で撮影禁止だから破ったら退学になるの」
……その写真が出回り始めて、夏休みが明けた時、当時副会長をしていた1年生がいなくなった。転校することになったと先生は言っていたっけ。
でもあまりにもタイミングが良過ぎて、生徒会の中ではその子が撮ったんじゃないかと言われていた。あの日生徒会室にいたのもあの子だけだったし、あそこ自体一般の生徒はほとんど立ち入らないから。
「へぇ……」
「でもなんか意外。梨花ちゃん王子くんのこと好きなんだ、館町くんとかだと思った」
「だって顔良いし努力家だし、歌もダンスもうまいし、かわいいし! もう全部好きなの!」
なんか、嬉しいな。
王子くんのことを褒められると、自分が褒められているみたいに嬉しい。
「映画、楽しみだなぁ。どんな話なんだろ」
「そこはまだ出てないの?」
「そう! タイトルと王子くんが出るっていうことだけでさ」
「へぇ」
どんな映画になんだろう。また番宣とかでたくさんテレビに出るのかな。
「わっ! もうこんな時間!」
梨花ちゃんが明るい声をあげた。梨花ちゃんは他の生徒と帰りがかち合わないように早めに帰る。ふと時計を見ると、いつもの時間だった。
「先生、帰るね!」
「うん。気をつけてね、また明日」
「はーい!」
梨花ちゃんはにっこり笑って、教室から出るとき手を振ってくれた。