これはきっと、恋じゃない。
でも、そうはいかなかった。
――はい。KIAが結成半年を迎えたとき、旭羽に病気が見つかった。そのまま気がつけば、表舞台に立てなくなるほど体調が悪くなってしまって。それを告白するのは、僕たち家族には勇気がなかった。ファンのみなさんにすべて伝えてしまえば、旭羽がアイドルとしてやっていくのは無理な気がしたから。
自然とKIAの活動も減っていって、あれだけ練習生の中では露出が多かったのに不自然なほど出ないから、ファンの方には心配されました。そういうのを見てたんでしょうね、旭羽に『おれをアイドルのままいさせて』って言われて、目が覚めたんです。それで、公表することにしました。
反響は凄まじかったですね。
――そうですね。ファンの方も不安でたまらなかっただろうし、それは僕たちも同じです。旭羽は本当に、最後までアイドルでした。病室のなかでできることをしてみんなに届けて、またステージに立つことを、デビューできることを願っていた。
……でも、その夢は叶わなかった。いなくなる直前に言われたんです。『必ずデビューして。遥灯ならできる』って。約束でした。
約束。
――そこから僕の夢がアイドルに変わった。旭羽の夢を僕が叶えて、デビューするんだって。でも、それは呪いにも似ていたかな。旭羽のその言葉が忘れられなくて、とても苦しかった。
旭羽がいなくなって時間が経って、関わってきた人みんなが少しずつ喪失を乗り越えて、なんとかしてステージに立つことができるようになったとき、セレンディピティに呼ばれました。そのとき僕は、旭羽がKIAに選ばれたときと同じ年齢になっていた。
選ばれた時、どうでした?
――まずメンバーに驚きましたね。智成くんと晶くんていう同期もいたし、こたくんと一佳くんの先輩も2人いて。センターは誰がってなった時、社長は僕の名前を呼んだ。でも納得できなかったし、SNSとかも色々書いてありました。
フツウに考えたら一佳くんかこたくんがセンターだし、長年やってきた人たちを無碍(むげ)にするのかって。でもあの2人は、遥灯がセンターだし、俺らはそのサポートするからって言ってくれた。
なるほど。
――でも僕のなかでは、うまく割り切れなかった。