これはきっと、恋じゃない。
そのままロングホームルームは終わって、放課後になった。
……なんということか。
わたしは窓の方を向いたまま机に伏せる。このガラスに映るくらいに王子くんが近くにいるせいで、反対側はとてもじゃないが向けない。
辺りに漂う空気には、王子くんの残り香が漂っていて存在を強く認識させる。
「推しが同じクラスはマジ大変そう」
「はぁ……」
ただ幸いなのは、王子くんが忙しいことだ。今日も忙しいらしく、ホームルームが終わるとすぐに帰って行ったから。そして一時(いっとき)あれだけ頭を悩ませていた欠席も、いまのわたしにとっては万々歳。
……隣の席というだけなのに、なんでこんなに意識してるんだろ。
ついこの間まで、他の女の子たちとはちがって、ただのクラスメイトとして見れていた。むしろ少し冷めた目で見ていたのに。
これじゃあまるで、そのバチでも当たっているみたいじゃないか。
そもそも、お姉ちゃんがあんな動画見せてこなければこんなことにはならなかった!
「にしても、まだ出待ち減らないねぇ」
亜子ちゃんはお行儀悪く机に座ると、背筋を伸ばして校門の方を眺めている。わたしも吊られるように見てみると、他校の制服を着た女の子たちが何人かいた。
一応校門前に警備員さんもいるにはいる。
でも、直接話しかけたり危害を加えたりしているのを目撃しない分には、なんとも言えないらしい。
そしてあの女の子たちは警備員さんが見ていないときにやるから、いたちごっこなのだ。
「……ほんとだ。そろそろ落ち着いたらいいのに」
「これが世間に対するセレピの実力なんだろうね」
実力、か。
ファンの数が増えれば増えるほど、こういうことがあるのは仕方ないのかもしれない。愛情の表現の仕方は置いておいて、それだけ世間がセレピに注目しているバロメーターにもなるから。
「……でもさ、もし自分があの立場だとしたら、絶対出待ちしないとは言い切れないな」
「え?」
わたしは顔を上げる。亜子ちゃんはわたしの言葉に、少し驚いたようにこっちを見ていた。
「だってさ、近所の学校に大好きで大好きで、なかなか会えない人がいたとしたら、声かけないまでもやっぱり少しは見てみたいって思うかもなって」
いま同じクラスに王子くんがいるから、出待ちは良くないと思う。わたしたちだって迷惑を被っているから。でも、ひとたび立場が違えばわからない。
これは、王子くんがわたしの“推し”になってから、気がついたことだ。
「……たしかにね」
「でも、狂気に満ちた顔は怖い」
「それはさすがに」
さてと、と亜子ちゃんが机の横にかけていたリュックを背負う。
「そろそろ行くかな」
「わたしも行かなきゃ」
今日は生徒会の定例会議がある。なんでも、新メンバーとの顔合わせだとか。
「じゃあねー」
「バイバーイ」
亜子ちゃんと教室で別れて、生徒会室に向かう。
ちょっと遅くなっちゃったかもな。まあ早く行き過ぎてもヒマだからいいけど。
そう思いながら、階段を登ってフロアに着く。
生徒会室、と看板のある近くに誰かいた。あのシルエットは森山先輩と、……だれだろう。
近づくにつれて、影が浮かび上がる。
……なんか見たことある気がする。
「お、逢沢」
「おつかれさまです、森山先輩」
森山先輩に軽く頭を下げた瞬間、わかった。
――そうだ、館町智成だ。タートルネックの貴公子の。
ばっちりと目が合う。黒髪のセンター分け、切長の一重の瞳がじっとわたしのことを見てくる。
「遥灯と同じクラス、だっけ」
低い声に、瞬時に悟る。
わたし、なんか警戒されてる?
「そう、ですけど……」
「この間のペアワークも一緒だったんだよな。遥灯、教室ではどんな感じ?」
「え、えぇ……」
探られてる。ここで意気揚々と、隣の席になりました! なんて言えるような雰囲気じゃない。それは伏せておこう。うっかり言ってしまうと厄介なことになる。
「割とみんなと、仲良しです、けど……」
「そう? ならよかった」
……ん?
「過保護だな」と、森山先輩がつぶやく。
いままさにわたしが思っていたことである。
「……心配してんの。色々あるから」
館町先輩は諦めたような顔で少し笑うと、ポケットに手を入れた。
「じゃあ俺行くわ」
「おう。がんばってな」
館町先輩が踵を返す。背中が少し小さくなっていく途中、さっき亜子ちゃんと話した出待ちのことを思い出した。
「あ、あの!」
館町先輩が、ゆっくり振り返る。