これはきっと、恋じゃない。

 次の日から、ノートもプリントも、ほんの少しいつもより丁寧にするようにした。

 普段はそんなにメモを取らない先生の話も、細かくメモをとる。そのおかげか、わたしも授業をちゃんと聞くようになったし、理解度も高まった。
 王子くんさまさまだ。

 そんなある日。

「ね、千世。世界史のプリント見せてくれる? 昨日勉強してたら書いてないとこあってさ」
「ん、いいよ」

 プリントを渡したとき、亜子ちゃんは少し首を傾げた。

「あれ? なんかいつもとちがうね」

 ドキンと、心臓が跳ねた。

「な、なんで?」
「いつもよりきれいだなって」
「いやいや! 気のせいだよ」
「ええ?」

 ……バレた? やっぱりわかるのかな。
 もしかして、普段は汚いのかな!?

 そのときだった。

「おはよ」

 王子くんがやって来た。3時間目からの登校らしい。

「あ、おはよー」
「おはよう!」

「逢沢さん、昨日はありがとね」

 んん!?
 ぎょっとした。そんなこと、言われるとは思ってなかった。
 亜子ちゃんにバレてない、よね?

 目だけで亜子ちゃんの方を見たけど、プリントを写すことに夢中になっていて気がついていない。……よかった。

「ううん、大丈夫! あ、プリント机の中に入ってるから」
「ありがとう」

 王子くんは席に着くと、リュックから教科書を出している。なんか、隣の席が埋まっているのは、ずいぶんと久しぶりな気がする。

 そう思っていると、チャイムが鳴った。

「ありがと、千世」
「うん」

 亜子ちゃんが前を向く。先生が入ってきた。

「はーい、始めますよー」

 ――授業中、隣を見れば王子くんがいる。

 そんなことなのに、なんだか特別に感じる。

「逢沢さんごめん、プリント見せてもらってもいい?」
「あ、うん!」

 さっき亜子ちゃんにも見せたプリントを、王子くんに渡す。……いつもよりきれいって言ってもらえたんだから、きっと見やすいと思う。

 シャーペンを走らしているのをじっと見ていたら、ふと王子くんが顔を上げた。そのせいで、目が合う。
 ふふ、と笑われる。吊り上がった口元から、白い歯が覗く。

 気まずくなって、わたしも同じように少し笑って目を逸らした。とくん、とくんといつもより心臓の音がはっきり聴こえてくる。

 ……かっこいい。
 すごく、かっこいい。

 いつもならカメラに向かって色んな人に向けられる笑顔が、わたしだけに向いた。それはなんだか、王子くんを独り占めしている気分になる。

 教壇では、先生が話している。それを聞くともなく聴きながら、ときどきメモを取る。

「逢沢さん」

 聞こえるか聞こえないかの声がして、王子くんの方を見るとプリントが差し出された。
 なぜか会釈されたので、わたしも会釈し返す。

 プリントを見れば、ピンクの付箋が貼ってあった。そこにはありがとうという文字と、うさぎの絵。

 ……ふふ。

 わたしも筆箱からメモ帳を一枚取り出す。

『どういたしまして』

 そして、わたしもうさぎを描いた。半分に折ってら先生にバレないように、こっそりと渡した。
 王子くんはそれを開くと、肩を揺らして笑った。

『へ た だ ね』

 こっちを見て、口がそう言っていた。

『う る さ い』

 そう言い返すと、王子くんは目を細めて笑った。
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