彼女は、2.5次元に恋をする。
第21話 だろ!? 可愛いだろ! 天使だろ!?
リュックを手に持ち、元から開けっ放しの扉を二回ノックする。そして
「1の7の椋輪と小石です。多幾先生にお話があって参りました」
硬い声で俺は言った。
ここは体育館の二階にある、体育教官室の入口。はっきり言って、この中に入るのが怖い。
それは『体育の先生=怖い』という、自分の今までの経験により構築された、先入観のせいかもしれない。
しかし実際、俺の担任は怖い。体育の授業で手を抜こうものなら即バレし、青筋を立てて怒号を飛ばしてくる。
大体うちのクラスは商業科なのに、なんで担任が体育の先生なんだ。同学科の6組の担任は、商業系の先生だ。
「お? 椋輪に小石? なんか新鮮な組み合わせだな。入っていいぞ」
多幾先生が自席を立ち、手招きをする。
「失礼します」
俺は歩きまで硬くなりながら多幾先生の席へ向かい、「失礼、します」と小石も続く。
教官室の中は、左右の壁面に沿ってそれぞれ机が二つずつ置かれている。多幾先生は向かって左側奥の席。手前の席には20代後半くらいの男の先生、その反対の席には、女の生田先生が座っている。彼女は新人で、1の7女子の体育担当だ。あと一つの席の先生は見当たらない。
多幾先生の席に来るなり目を引いたのは、ハート型のフォトフレームに入った、可愛らしい赤ちゃんの写真。去年生まれたって、入学初日の自己紹介で言ってたな。
「あの、多幾先生。小石が去年の演劇部だった卒業生に、連絡を取りたいそうなんです。去年の演劇部顧問の先生を、教えていただけませんか?」
「ああ、幕内先生だな。……異動しちゃったぞ」
(異動すんなよ……)
「卒業生の名前は?」
「それが分からないので、幕内先生にお訊きしたかったんです。多幾先生は去年の文化祭の演劇、ご存知ですか?」
「あー、寺子屋名探偵! 俺、その時軽音の方見に行ってたんだ」
「その寺子屋の太巻先生役だった先輩に、小石がお世話になったらしくて――」
「あ、あのっ、私……その先輩に、お金を、借りてるんですっ」
下を向きながら、小石が頑張って話している。担任にも、まだ慣れていないようだ。
「そうか。そりゃあ、返さなきゃだよな。でも俺、その卒業生知らないなぁ……」
多幾先生が隣の席に視線を送る。
「若林先生、聞いてた? 知ってる?」
「僕、演劇は観ました。でも、太巻先生役の生徒は知りませんね。しばらくの間、彼が女子達の話題の的になってたっけ……」
苦笑混じりで言う彼は、若林先生というらしい。覚えておこう。
「小石、椋輪。とりあえず明日の朝、職員会議で訊いてみるよ。去年の3年生の担任達なら、分かるんじゃないかな? まぁ、一部異動しちゃってるけど」
「ありがとうございます! 良かったな、小石」
「うん! あっ、ありがとうございます!」
「……ところでさ、二人とも少し時間ある?」
「僕は、大丈夫ですけど……?」
「私も、大丈夫、です」
「せっかくだから、ちょっと喋っていかないか?
ほら、生徒と親睦を深めたいというか。俺、椋輪とも小石とも、あんまり喋ったことないだろう?」
「は、はぁ……」
俺と小石は、横目で視線を合わせた。
きっと彼女も同じ事を思っただろう。
(多幾先生にお世話になる手前、付き合わなきゃいけないやつだよな? これ)
多幾先生が、入口の方にあるパーティションを指差す。
「じゃあ、あの奥。ソファーがあるから座ってくれ。
飲み物はアイスコーヒーか? アイスティーか? 麦茶か?」
「ありがとうございます。僕は麦茶をお願いします」
「ありがとうございます。私も、麦茶で……」
俺達がソファーに移動すると間もなく、多幾先生は流れるような動作でテーブルにコップを並べ、ペットボトルの麦茶を注いでくれた。
そして一旦姿を消すと、大きな赤い本を持って戻って来た。
「これを見てくれ!」
真紅の地に、金の箔押しのアルファベットが並ぶ表紙。俺は自分に差し出されたそれを受け取り、開いた。
落ち着いた表紙から一転し、一面にびっしり貼られた赤ちゃんの写真が目に飛び込む。しかもそれらは、色とりどりの可愛らしいシールやらマスキングテープやら、丸い手書き文字やらでデコレーションされている。
これは、多幾先生のお子さんのアルバムだ。
「可愛い……!」
覗き込む小石が目を細め、呟いた。
「小石! だろ!? 可愛いだろ! 天使だろ!?」
「似てない……」
「椋輪! だろ!? 妻似なんだ! 最高だろ!?」
怒号を飛ばす人と同一人物とは思えない、目尻を下げた仏顔の人が、一枚目の写真に指を差す。
「まずな、これが生まれたての写真で、出産時間は――」
***
小石と二人、体育教官室から昇降口に向かう。
「長かったな〜、多幾先生の娘自慢……」
「でも、可愛かったね」
「写真一枚一枚の解説はいらなかった!
しかも、あのアルバムデコは自分作って……似合わなすぎだろ」
「ふふっ。多幾先生、実は可愛いよね。何歳だっけ?」
「確か37だぞ」
「37歳かぁ……。
その頃の私はどんなかな? 想像できないな〜」
「俺も、どんなオッサンになってんだろう……」
「蓮君は、きっと多幾先生みたいな娘ちゃん自慢パパ!」
「ぶっ……、俺が!?
――だろ!? 可愛いだろ! 天使だろ!?」
「ぶふっ、ちょっ!」
「だろ!? 妻似なんだ! 最高だろ!?」
「もっ、やめてっ! あははっ!」
小石がお腹を抱えて笑いだした。
「あ〜でも、実際言えたら幸せだよな」
「あはっ、そうだねっ、い、いいねっ……そういう人っ」
笑いを漏らしながら、小石が言う。
そんな彼女の様子に、俺もつられ笑いしそうだ。
やっと小石の笑いが収束した頃、俺達は昇降口を出ていた。
「じゃあ、また明日。太巻先生情報、楽しみだな」
「うん! 今日は本当にありがとう、蓮君!」
日が沈みかかった空の下、小石が満面の笑みで手を振る。
笑い涙を、まだ目に残しながら。
――今日は、とても濃い一日だった。
「1の7の椋輪と小石です。多幾先生にお話があって参りました」
硬い声で俺は言った。
ここは体育館の二階にある、体育教官室の入口。はっきり言って、この中に入るのが怖い。
それは『体育の先生=怖い』という、自分の今までの経験により構築された、先入観のせいかもしれない。
しかし実際、俺の担任は怖い。体育の授業で手を抜こうものなら即バレし、青筋を立てて怒号を飛ばしてくる。
大体うちのクラスは商業科なのに、なんで担任が体育の先生なんだ。同学科の6組の担任は、商業系の先生だ。
「お? 椋輪に小石? なんか新鮮な組み合わせだな。入っていいぞ」
多幾先生が自席を立ち、手招きをする。
「失礼します」
俺は歩きまで硬くなりながら多幾先生の席へ向かい、「失礼、します」と小石も続く。
教官室の中は、左右の壁面に沿ってそれぞれ机が二つずつ置かれている。多幾先生は向かって左側奥の席。手前の席には20代後半くらいの男の先生、その反対の席には、女の生田先生が座っている。彼女は新人で、1の7女子の体育担当だ。あと一つの席の先生は見当たらない。
多幾先生の席に来るなり目を引いたのは、ハート型のフォトフレームに入った、可愛らしい赤ちゃんの写真。去年生まれたって、入学初日の自己紹介で言ってたな。
「あの、多幾先生。小石が去年の演劇部だった卒業生に、連絡を取りたいそうなんです。去年の演劇部顧問の先生を、教えていただけませんか?」
「ああ、幕内先生だな。……異動しちゃったぞ」
(異動すんなよ……)
「卒業生の名前は?」
「それが分からないので、幕内先生にお訊きしたかったんです。多幾先生は去年の文化祭の演劇、ご存知ですか?」
「あー、寺子屋名探偵! 俺、その時軽音の方見に行ってたんだ」
「その寺子屋の太巻先生役だった先輩に、小石がお世話になったらしくて――」
「あ、あのっ、私……その先輩に、お金を、借りてるんですっ」
下を向きながら、小石が頑張って話している。担任にも、まだ慣れていないようだ。
「そうか。そりゃあ、返さなきゃだよな。でも俺、その卒業生知らないなぁ……」
多幾先生が隣の席に視線を送る。
「若林先生、聞いてた? 知ってる?」
「僕、演劇は観ました。でも、太巻先生役の生徒は知りませんね。しばらくの間、彼が女子達の話題の的になってたっけ……」
苦笑混じりで言う彼は、若林先生というらしい。覚えておこう。
「小石、椋輪。とりあえず明日の朝、職員会議で訊いてみるよ。去年の3年生の担任達なら、分かるんじゃないかな? まぁ、一部異動しちゃってるけど」
「ありがとうございます! 良かったな、小石」
「うん! あっ、ありがとうございます!」
「……ところでさ、二人とも少し時間ある?」
「僕は、大丈夫ですけど……?」
「私も、大丈夫、です」
「せっかくだから、ちょっと喋っていかないか?
ほら、生徒と親睦を深めたいというか。俺、椋輪とも小石とも、あんまり喋ったことないだろう?」
「は、はぁ……」
俺と小石は、横目で視線を合わせた。
きっと彼女も同じ事を思っただろう。
(多幾先生にお世話になる手前、付き合わなきゃいけないやつだよな? これ)
多幾先生が、入口の方にあるパーティションを指差す。
「じゃあ、あの奥。ソファーがあるから座ってくれ。
飲み物はアイスコーヒーか? アイスティーか? 麦茶か?」
「ありがとうございます。僕は麦茶をお願いします」
「ありがとうございます。私も、麦茶で……」
俺達がソファーに移動すると間もなく、多幾先生は流れるような動作でテーブルにコップを並べ、ペットボトルの麦茶を注いでくれた。
そして一旦姿を消すと、大きな赤い本を持って戻って来た。
「これを見てくれ!」
真紅の地に、金の箔押しのアルファベットが並ぶ表紙。俺は自分に差し出されたそれを受け取り、開いた。
落ち着いた表紙から一転し、一面にびっしり貼られた赤ちゃんの写真が目に飛び込む。しかもそれらは、色とりどりの可愛らしいシールやらマスキングテープやら、丸い手書き文字やらでデコレーションされている。
これは、多幾先生のお子さんのアルバムだ。
「可愛い……!」
覗き込む小石が目を細め、呟いた。
「小石! だろ!? 可愛いだろ! 天使だろ!?」
「似てない……」
「椋輪! だろ!? 妻似なんだ! 最高だろ!?」
怒号を飛ばす人と同一人物とは思えない、目尻を下げた仏顔の人が、一枚目の写真に指を差す。
「まずな、これが生まれたての写真で、出産時間は――」
***
小石と二人、体育教官室から昇降口に向かう。
「長かったな〜、多幾先生の娘自慢……」
「でも、可愛かったね」
「写真一枚一枚の解説はいらなかった!
しかも、あのアルバムデコは自分作って……似合わなすぎだろ」
「ふふっ。多幾先生、実は可愛いよね。何歳だっけ?」
「確か37だぞ」
「37歳かぁ……。
その頃の私はどんなかな? 想像できないな〜」
「俺も、どんなオッサンになってんだろう……」
「蓮君は、きっと多幾先生みたいな娘ちゃん自慢パパ!」
「ぶっ……、俺が!?
――だろ!? 可愛いだろ! 天使だろ!?」
「ぶふっ、ちょっ!」
「だろ!? 妻似なんだ! 最高だろ!?」
「もっ、やめてっ! あははっ!」
小石がお腹を抱えて笑いだした。
「あ〜でも、実際言えたら幸せだよな」
「あはっ、そうだねっ、い、いいねっ……そういう人っ」
笑いを漏らしながら、小石が言う。
そんな彼女の様子に、俺もつられ笑いしそうだ。
やっと小石の笑いが収束した頃、俺達は昇降口を出ていた。
「じゃあ、また明日。太巻先生情報、楽しみだな」
「うん! 今日は本当にありがとう、蓮君!」
日が沈みかかった空の下、小石が満面の笑みで手を振る。
笑い涙を、まだ目に残しながら。
――今日は、とても濃い一日だった。