彼女は、2.5次元に恋をする。
第6話 俺は初恋も、今好きなのもお前だ……
「じゃ、二人とも。また来週」
「ああ、邪魔して悪かったな、八尾」
八尾がデッサンに戻った。
「――俺は帰る。雨も止んだし」
廊下の窓から見える空は、濃いオレンジになっている。
「私も、このまま帰る」
俺たちは来た階段を降り始めた。
一段一段降りる度に、小石のリュックのマスコット達が揺れる。
「蓮君はどこに住んでるの?」
「椿台」
「そっか、近くていいね。私は五本松」
「じゃあ電車か、結構遠いよな。……なんで椿高選んだんだ?」
「何校か学校説明会行ったんだけど、ここの先輩方が凄く生き生きしてたから。
太巻先生も『いい学校だよ』って言ってたし」
小石が頬を赤らめながら続ける。
「どの学科紹介も楽しかったけど、私、パソコン使えたらいいなっていうのと、先輩方が資格一杯取っててかっこいいからって事で、商業科に入りたいって思ったの。
蓮君は?」
「――最寄りだから……」
「そういう決め方もあるんだね」小石がふふっと笑う。
学校説明会にも参加せず、自宅から最寄りというだけで、ここ一択だった。勿論入試の面接時には、予め考えた当たり障りない志望動機を述べた。学科は消去法で普通科か商業科、最終進路希望調査票のプリントの裏に、あみだくじを書いて決めた。提出時には消したが。
なんだか情けない過去を振り返っている間に、昇降口に着いた。
もう少し話したい。話題を変えよう。
「小石って、いつも放課後に教室で絵を描いてるのか?」
「たまにだよ。いつもは家で描いてる。
今日はSHRの時に、突然いいイメージが頭に浮かんでね、今描かなきゃ! って」
「教室で絵を描いてて、今まで話しかけられたことは?」
「ないよ」
(あんな感じの絵じゃ、なかなか話しかけづらいよな。それにこいつ、一心不乱過ぎだから軽く話しかけただけじゃ、たぶん気づかない……)
「……そうか。あと訊きたいんだけど、休み時間によく読んでるのって、何の本?」
「寺子屋名探偵の小説! 太巻先生の素敵さについつい没頭しちゃって、気づくといつの間にか授業始まってたりするんだよね」
「ははっ、そうか……」
(ほんと……寺子屋オタクだな。てかこいつ、最前列の席なのに大丈夫なのか?)
「俺、今まで小石って『孤高の秀才』って思ってたけど……実は『人見知りな秀才』だったんだな。『寺子屋オタク』だし」
小石が目を丸くする。
「!」
俺は自分の口を抑えた。
(――しまった……『寺子屋オタク』とか、思ったことをそのまま言った)
「…………くっ、あはははっ! 『孤高の秀才』って、私、そんなイメージだった!?」
小石が口を大きく開けて笑いながら、靴箱から靴を取り出す。こんな風にも笑うのか。
「ふふふっ。オタク=『その道を極める者』って事でしょ? 誇らしい称号だよね」
貶すつもりでも、褒めるつもりでも言ったわけじゃない。が、プラスに捉えてくれたようでほっとした。
「確かに寺子屋オタクだし人見知りだけど、『秀才』は違うかな。
――じゃっ! 今日はありがとね、蓮君」
「いや、こっちこそ。体操着、ちゃんと洗って返すから。
服入れるビニール袋までありがとうな」
先に外に出ていく小石が俺に手を振る。その姿は夕日の逆光に照らされ、輪郭線が細く光っている。
しばし見とれてしまった後、俺は傘立てに脱ぎ捨てたレインコートを回収した。
――――――――――――――――――――
その夜。
俺はベッドに仰向けで、真っ暗な自室の天井を凝視していた。今日はなかなか眠れない。
脳裏に浮かぶのは、自分にノートを突きつけた時の小石の汗・髪・頬・唇・瞳はじめ、本日見惚れたシーンのハイライトだ。目に焼き付いた全てが、エンドレスリピートされる。
「はぁ……」
目を閉じ、そこに手の甲を乗せる。
ダメだ。目を閉じると余計、ハイライトが鮮明に再生される。
――眩しくて、キレイだった。
絵が下手だろうがオタクだろうが、自分が他人からどう思われるなんて顧みない。いや、むしろオタクであることを誇りに思うほどの、潔い寺子屋――太巻先生への情熱。それがあいつを輝かせているのかもしれない。
俺も何か、あいつのようにあんなに情熱を持てたら――憧れにも似たこの気持ち。それと共に、今脳内で再生されているのは、小石のはにかんだ表情と声。
――『アニメの太巻先生が、私の初恋の人』
――『去年椿高で会った太巻先生が、今……私の…………好きな人なの』
「俺は初恋も、今好きなのもお前だ……」
ボソリとしたつぶやきが、口から零れ落ちる。
(早く学校に行きたい)
こんな事思ったのは、小学校の、好きな給食のメニューの時以来だ。
(早く三連休終わらねーかな)
こんな事思ったのは――初めてだ。
これは本当に俺か? 人を好きになるってこんな?
――あーもう疲れた、寝よう。
ふと時間が気になり、スマホをつける。
ただ今の時刻――午前1時59分。
「ああ、邪魔して悪かったな、八尾」
八尾がデッサンに戻った。
「――俺は帰る。雨も止んだし」
廊下の窓から見える空は、濃いオレンジになっている。
「私も、このまま帰る」
俺たちは来た階段を降り始めた。
一段一段降りる度に、小石のリュックのマスコット達が揺れる。
「蓮君はどこに住んでるの?」
「椿台」
「そっか、近くていいね。私は五本松」
「じゃあ電車か、結構遠いよな。……なんで椿高選んだんだ?」
「何校か学校説明会行ったんだけど、ここの先輩方が凄く生き生きしてたから。
太巻先生も『いい学校だよ』って言ってたし」
小石が頬を赤らめながら続ける。
「どの学科紹介も楽しかったけど、私、パソコン使えたらいいなっていうのと、先輩方が資格一杯取っててかっこいいからって事で、商業科に入りたいって思ったの。
蓮君は?」
「――最寄りだから……」
「そういう決め方もあるんだね」小石がふふっと笑う。
学校説明会にも参加せず、自宅から最寄りというだけで、ここ一択だった。勿論入試の面接時には、予め考えた当たり障りない志望動機を述べた。学科は消去法で普通科か商業科、最終進路希望調査票のプリントの裏に、あみだくじを書いて決めた。提出時には消したが。
なんだか情けない過去を振り返っている間に、昇降口に着いた。
もう少し話したい。話題を変えよう。
「小石って、いつも放課後に教室で絵を描いてるのか?」
「たまにだよ。いつもは家で描いてる。
今日はSHRの時に、突然いいイメージが頭に浮かんでね、今描かなきゃ! って」
「教室で絵を描いてて、今まで話しかけられたことは?」
「ないよ」
(あんな感じの絵じゃ、なかなか話しかけづらいよな。それにこいつ、一心不乱過ぎだから軽く話しかけただけじゃ、たぶん気づかない……)
「……そうか。あと訊きたいんだけど、休み時間によく読んでるのって、何の本?」
「寺子屋名探偵の小説! 太巻先生の素敵さについつい没頭しちゃって、気づくといつの間にか授業始まってたりするんだよね」
「ははっ、そうか……」
(ほんと……寺子屋オタクだな。てかこいつ、最前列の席なのに大丈夫なのか?)
「俺、今まで小石って『孤高の秀才』って思ってたけど……実は『人見知りな秀才』だったんだな。『寺子屋オタク』だし」
小石が目を丸くする。
「!」
俺は自分の口を抑えた。
(――しまった……『寺子屋オタク』とか、思ったことをそのまま言った)
「…………くっ、あはははっ! 『孤高の秀才』って、私、そんなイメージだった!?」
小石が口を大きく開けて笑いながら、靴箱から靴を取り出す。こんな風にも笑うのか。
「ふふふっ。オタク=『その道を極める者』って事でしょ? 誇らしい称号だよね」
貶すつもりでも、褒めるつもりでも言ったわけじゃない。が、プラスに捉えてくれたようでほっとした。
「確かに寺子屋オタクだし人見知りだけど、『秀才』は違うかな。
――じゃっ! 今日はありがとね、蓮君」
「いや、こっちこそ。体操着、ちゃんと洗って返すから。
服入れるビニール袋までありがとうな」
先に外に出ていく小石が俺に手を振る。その姿は夕日の逆光に照らされ、輪郭線が細く光っている。
しばし見とれてしまった後、俺は傘立てに脱ぎ捨てたレインコートを回収した。
――――――――――――――――――――
その夜。
俺はベッドに仰向けで、真っ暗な自室の天井を凝視していた。今日はなかなか眠れない。
脳裏に浮かぶのは、自分にノートを突きつけた時の小石の汗・髪・頬・唇・瞳はじめ、本日見惚れたシーンのハイライトだ。目に焼き付いた全てが、エンドレスリピートされる。
「はぁ……」
目を閉じ、そこに手の甲を乗せる。
ダメだ。目を閉じると余計、ハイライトが鮮明に再生される。
――眩しくて、キレイだった。
絵が下手だろうがオタクだろうが、自分が他人からどう思われるなんて顧みない。いや、むしろオタクであることを誇りに思うほどの、潔い寺子屋――太巻先生への情熱。それがあいつを輝かせているのかもしれない。
俺も何か、あいつのようにあんなに情熱を持てたら――憧れにも似たこの気持ち。それと共に、今脳内で再生されているのは、小石のはにかんだ表情と声。
――『アニメの太巻先生が、私の初恋の人』
――『去年椿高で会った太巻先生が、今……私の…………好きな人なの』
「俺は初恋も、今好きなのもお前だ……」
ボソリとしたつぶやきが、口から零れ落ちる。
(早く学校に行きたい)
こんな事思ったのは、小学校の、好きな給食のメニューの時以来だ。
(早く三連休終わらねーかな)
こんな事思ったのは――初めてだ。
これは本当に俺か? 人を好きになるってこんな?
――あーもう疲れた、寝よう。
ふと時間が気になり、スマホをつける。
ただ今の時刻――午前1時59分。